三和酒類野村 智則
――SCM本部で野村さんが現在、担当されているお仕事の内容を教えてください。
SCM(サプライチェーンマネジメント)本部は、原料の調達から生産、出荷、最終的にお客様に届くまでをマネジメントする部署です。その中の環境開発課、生産技術課の2部門を担当しています。いずれもものづくりを支える部門です。
環境開発課では、焼酎製造の蒸留工程で発生する副産物である大麦発酵液、いわゆる焼酎粕(かす)の加工を行っています。 大麦発酵液の多くは飼料や肥料の原料として加工し、地域の耕種・畜産農家の方々に利用してもらっています。また、自社のメタン発酵によりエネルギーへ変換するバイオマスとしての活用など、資源の循環を推進しています。
このほかにも一般的なゴミも含めた廃棄物の管理、3R(廃棄物そのものを減らす「Reduce(リデュース)」、廃棄物を捨てずに繰り返して使う「Reuse(リユース)」、廃棄物を資源として再利用する「Recycle(リサイクル)」)の推進、工場緑化の維持管理も環境開発課の担当です。
生産技術課では、工場内の電気・ガス・水などのエネルギーとユーティリティーの管理、省エネ・脱炭素の推進、環境マネジメントを推進する環境事務局の役割などを担当しています。このほか、生産性向上に関する技術支援、保全の推進、さらにSCM本部全体の庶務及び税務に関する業務も生産技術課が担当しています。
そして、生産技術課の大切な役割のひとつに、排水処理に関する技術支援があります。本社工場の庭園の地下には広大な排水処理場があります。これに関しては、後ほど詳しくご説明しますね。
――野村さんはものづくりを支える「縁の下の力持ち」の部門に幅広く携わっているのですね。さて、主に生産技術課が担っている環境マネジメントについて、三和酒類では、次のような品質・食品安全・環境の基本方針を掲げて取り組んでいらっしゃいます。
創業以来、企業活動が成長していく中で、どのような課題が生まれて、そこに三和酒類はどのように対応してきたのでしょうか。また、このような基本方針が策定された経緯について教えてください。
環境面における課題としてまずは排水処理がありました。当社は、「生産過程において発生する排水や廃棄物の適正処理も含めてものづくりである」という思想から、常に生産とあわせた環境配慮を行ってきました。発売後年々増加する「いいちこ」の需要に対応すべく、1983年には大分県宇佐市の現在の本社がある土地に山本工場を開設しましたが、開設1年で早々に排水処理問題に直面しました。
現在、排水処理した水は下水道に流していますが、当時は排水処理後は河川放流していました。その水が最終的に瀬戸内海へ流入するため「瀬戸内海環境保全特別措置法」という日本で最も厳しい水質基準の下で管理しなければならない状況でした。「いいちこ」の需要増加に伴う生産規模拡大にあわせて、1984年から排水処理場の規模拡大を行い、1991年に、1日あたり1500t処理できる現在の排水処理場が設置されました。
排水処理場の規模拡大と共に、排水自体を減らす取り組みも進めました。そこで大きな成果を上げたのが、焼酎の原料である大麦を蒸す前に水分を含ませる、「浸漬(しんせき)」という過程での「限定吸水」という技術でした。
限定吸水とは、ドラム内に投入した大麦に最適水量、最適温度の水を投入し、余分な排水を出さず全て大麦に吸水させる方法のことです。それまでは、経験則による操作を行っており、大麦と吸収する量以上の水を浸漬ドラムに投入して水切りをすることで多くの排水が発生していました。大麦と水を同じ配管で同時に送っていたため、配管内の水量が少ないと大麦が水を吸って膨張して詰まってしまうなどのトラブルも起きていたようです。
そこで、当社の前社長で現研究特別顧問の下田雅彦が中心となり、研究所、製造部門が協力して課題解決に取り組みました。その結果、原料麦の水分、ドラム投入量に対する最適な水分量、水温を求める計算式を実験より導き出し、特許を取得しました。
――排水処理場の拡大と並行して、排水量そのものを減らす取り組みとして限定吸水という特許技術を開発したのですね。まさに三和酒類の技術の真骨頂とお見受けします。
そうですね。排水量を減らす取り組みとしては、蒸留の過程で生じる温水をボトリングの際の洗瓶水として再利用することも行っています。
――生産量の増加と共に生まれた課題としては、排水処理ともうひとつ、大麦発酵液の処理問題もあったそうですね。
はい。当社は、自然起源の有用資源を有効活用する、デンプン分はアルコールに変え、残った副産原料についても肥料や飼料の原料として利用できるように加工し地域で循環する、という創業者の強い意思を引き継いでいます。そのため、生産量が少ない頃は、近隣農家や牧場で肥料や飼料原料として使用してもらっていました。
その後、生産量が増えると共に大麦発酵液の量も増えたため、合法的な手段で海洋投入を行っていました。当社から福岡県の宇島(うのしま)港までタンクローリーで運搬し、大型船に載せ替えて東シナ海の沖合まで持って行って廃棄していたそうです。産廃物とはいえ自然起源で毒性はなく、大麦のタンパク質が魚の餌になるということから、大きな意味での自然循環ととらえられていました。
ところが、有害無害問わず海に廃棄物などを投入するのは止めようという「ロンドン・ダンピング条約」が1975年に発効し、1980年に日本もこれを批准しました。この結果、1995年で廃棄物の海洋投入が全廃となったため、大麦発酵液も海洋投入ができなくなったのです(焼酎製造は地域産業のため、国内の交渉の中で猶予され、実際の全廃は2000年)。
そこで社内に「ECO'95 プロジェクト」という2年がかりのプロジェクトが始動しました。
――「ECO'95 プロジェクト」では具体的にどのようなことに取り組んだのでしょうか。
大麦発酵液の濃縮飼料化、乾燥飼料化です。単純に、燃やせば灰になり、大幅な減量化ができるものの、資源の有効活用を創業当時から理念として掲げる当社は、焼却ではなく濃縮してからの乾燥を選択しました。減量化だけでなく、乾燥することによって保存性が増し、ぐんと扱いやすくなったそうです。
しかし乾燥にはエネルギーを使います。環境問題、地球温暖化、CO2削減、原油価格の高騰などを受け、次の時代の課題解決を担う施設として「拝田(はいた) グリーンバイオ事業所」が設立されることになり、私はその準備室に配属されました。
――「拝田グリーンバイオ事業所」では大麦発酵液の加工と、メタン発酵を行っているということですね。
はい。資源の有効活用・循環の観点から、副産物である大麦発酵液を飼肥料だけでなく食品素材としての加工も行っています。また、メタン発酵によるバイオマス利用などを総合的に推進できる施設として、2009年に拝田グリーンバイオ事業所を設立しました。
◇拝田グリーンバイオ事業所での大麦発酵液加工工程
私は、大分大学工学部電気電子工学科の出身で、2000年に入社してすぐは製品課に配属されましたが、約4カ月後に当時の環境エンジニアリング部工務課に異動。エネルギー管理士、電気主任技術者、公害防止管理者、技能士などの資格を取得しながら、工場施設の管理業務に携わっていました。そして2007年に拝田グリーンバイオ準備室に異動になりました。
私がこの規模のプロジェクトを担当するのは初めてということもあり、何もない更地に形をつくっていくこと、食品、飼料化、バイオマス、事務所の建築と、異なる分野のそれぞれの設計業者を取りまとめてつなげていくことの難しさがありました。
当時、代表取締役専務の和田久継(現相談役)のアドバイスもあり、行き詰まったら更地の状態のだだっ広い現場に足を運び、未来の設計図を想像するようにしていました。経験を積ませていただくという立場ではありましたが、受け身で設計業者に丸投げするのではなく、主体的に動くことの大切さを学び、それは私の人生においても大きな転機となりました。
この時の経験は今でも生きています。現在、SCM本部で本社の総合防災管理対策を担当しているのですが、治水対策を考える時に、相手は自然であり、急な豪雨からも工場を守らなければなりません。和田から「山に行って感じないとだめだよね」と言われて、本社の裏の山道を歩いて見に行ったこともありました(笑)。やはり現場に足を運ぶことが大切なのです。
設立後、拝田グリーンバイオ事業所製造課に配属されましたが、1年後には当時の環境技術部技術課に異動となったため、正直なところ後ろ髪をひかれる思いはありました。しかし、今改めて担当をさせていただいており、今後も脱炭素と資源循環の両立によるサステナブルなものづくりを実現する環境未来創造型モデルプラントの確立、食品事業など高付加価値の創造と地域に根差した循環社会への貢献の両立、そして新たな価値を見出すためのチャレンジができる施設にしていきたいと思っています。
――排水処理と大麦発酵液の有効利用が三和酒類における2大環境課題であったことがよく分かりました。さて、環境マネジメントの基本方針に戻り、5の「省エネルギー・省資源・3R活動」の取り組みについても教えてください。
先ほどもご説明した通り、当社には創業当初、サステナブルなどの言葉がまだない時代から「お客様へ、品質第一で最高の商品を」「自然にやさしいものづくり」という思想がありました。そして2002年、環境マネジメントシステムの国際規格であるISO14001を取得する際に、品質・環境の基本方針として明文化し、まとめることになりました。
当時、多くのお客様から「いいちこ」を求められるようになり、「安全安心」「品質第一」なものづくりがそれまで以上に重要となっていました。それを実現するためには製造現場に環境マネジメントシステムを確立し、PDCAサイクル(Plan-Do-Check-Act cycle)による継続的な改善が不可欠です。また社会的信用の観点からも品質・環境のISO規格を取得しようということになりました。
――省エネルギーに向けてはどんな取り組みをされてきたのでしょう。
省エネに関しては、当社は省エネ法にもとづくエネルギー管理指定工場であるため、継続的な省エネが求められています。法定組織として省エネ推進委員会を立ち上げ、高効率機器への更新、生産性向上、ムリ・ムダの排除、地道な省エネ啓蒙など、多くの省エネのための施策に取り組んできました。
そして2023年には省エネ推進ミーティングを脱炭素推進ミーティングへ進化させました。脱炭素を中心とした環境活動は現場だけではなく全社的に取り組むべき大切なことなので、全部門が参加する体制へと変更したのです。
さらに班活動として、
①過去の歴史を掘り起こし社内へ共有する(有識者へのヒアリング)グループ
②社外へどのように情報を発信するのが効果的かを考える(HP更新対応)グループ
といった2つのグループに分けて活動しています。今後は環境活動を網羅的に推進できるよう、さらに充実させる予定です。
省資源に関しては、節水等による水資源の適正使用に取り組んでいます。当社の生産活動には多くの水資源が必要であり、その中でも酒造りに欠かせない「井戸水(地下水)」の水源保護が重要な課題です。この水源を長期的に確保するために水源調査を行い、井戸の水位をモニタリングし、メンテナンスをしっかり行うよう管理体制を強化してきました。現在は合計10本の井戸が稼働中です。
3Rに関しては、まずは原材料、水資源などあらゆる資源の使用量を減らし、廃棄物を減らすことを目指しました。これは社内のTPM(Total Productive Maintenance/全員参加の生産保全)活動や生産性向上活動による、無駄(ロス)をなくす思想によるものであり、こういった視点はものづくりのベースとして社内に定着しています。
また発生した廃棄物をしっかり分別し、適正なリサイクルにより資源を循環すること。細かい分別を理解するのはなかなか難しいことではありますが、担当者が全社に向けてわかりやすく、ユーモアのある啓蒙により協力を促しており、各部署への勉強会なども実施し理解を深めてもらっています。
――地球温暖化の問題や国連によるSDGsの提唱など、昨今は一般の生活者の間でも環境問題への関心が高まっています。三和酒類として、これからの5年、10年先を見据えて、どこに力を入れて、どのような活動をされていくのでしょうか。
地球温暖化対策としての脱炭素や資源循環などは、社会的責任としてこれまでどおりやっていきます。法律や規制にのっとって活動するのは当然のことです。これに加えて創業者がしてきたように、ものづくりをする中で自然や地域、お客様との豊かな関係を継続させるために何をすべきかを考えて、時代に応じて柔軟に対応していくこと。これが当社の在り方だと思います。
そのためにも社内意識の醸成は必要不可欠です。これには先ほどお話しした「脱炭素推進ミーティング」がひと役買ってくれることを期待しています。また、社外への発信も大切です。当社の歴史や価値を掘り起こして会社のホームページなどで発信するだけでなく、リアルイベントでも直接お客様に伝えていきたいと考えています。
当社は創業以来、大分県宇佐市で事業を行ってきました。長年にわたりこの地で操業できているのも地域の方々のご理解があってこそ。だからこそ自然環境を守りながら、地域やお客様の課題解決に繋がるもの、例えば大分県産大麦ニシノホシの栽培や、地域文化の振興、次世代育成などにも積極的に取り組んでいきたいです。
まずは長期ビジョンを策定し、進むべき方向・レベルを明確にすること。そしてそれを外部にも宣言し、そこに向けてチャレンジし続けること。経済性や事業性との両立が難しいものも多く、先行投資やボランティアに近い活動もありますが、それらも必要なことであると考えています。
PROFILE
野村智則(のむら・とものり)
三和酒類株式会社 SCM本部 副部長
1976年、大阪府八尾市生まれ。中学1年の時に大分県由布市湯布院へ移り住む。2000年、大分大学工学部電気電子工学科卒業、三和酒類入社。入社4カ月後に工務課へ配属。電気主任技術者などの資格を生かし、工場の管理業務に携わる。2007年拝田グリーンバイオ準備室へ異動。更地の状態からの事業所立ち上げに尽力する。その後、環境技術部、製品物流部などを経て、2023年SCM本部副部長に就任。家での晩酌はせず、飲むのはもっぱら外での飲み会が中心。最近、ゴルフを再開。新たな出会いに感謝し、縁をつないでいくことに幸せを感じている。高校生、中学生、小学生の3児の父でもある。