三和酒類串尾 聡之
――現在、三和研究所 ウェルビーイング研究室に勤務されている串尾さんですが、大学時代はどのような研究をされていたのですか。
私は工学部の出身で、がん細胞などを使って、正常細胞には副作用が起こらないよう、がん細胞にだけ薬を届ける「ドラッグデリバリーシステム」の入れ物になる高分子化合物の設計などを研究していました。学問的には生物物理化学のジャンルです。
大学院修士課程を終えて、食品、製薬分野に就職しようと考えました。なかでも食品分野、健康機能や美容に役立つ商品を開発しているBtoCのメーカーに興味を持ちました。その延長線上に酒類メーカー、三和酒類がありました。というのも、ウェルビーイング研究室の前身は食品事業部だったんです。ウェルビーイング研究室には課長も含めて、現在3人が所属しています。
ウェルビーイング研究室では、麹と発酵の過程で生まれる残渣(ざんさ)の機能性をもって、社会課題を解決していくことを命題とした研究を中心に取り組んでいます。例えば、本格麦焼酎「いいちこ」の醸造工程で発生する焼酎粕からつくられる食品素材・発酵大麦エキスを培地として、さまざまな健康機能を持つ「大麦乳酸発酵液ギャバ」を開発したりもしています。
――なるほど。健康食品事業も担うメーカーとして三和酒類を選ばれたのですね。就職されてすぐに研究室に配属されたのですか。
いえ、最初は製造部に約1年、その後、品質保証部に約2年在籍しました。私が就職した当時は、まずは新入社員全員が生産部門で焼酎づくりの基礎を学ぶのが基本ルートでした。元々研究室希望で就職したので少し驚きましたが、今考えると、この3年間はその後の仕事をするうえで重要なキャリアであったと思います。そして4年目に研究室へ配属されました。
――研究室に配属されてからは、どのような研究に取り組まれたのですか。
今後、お酒に対する規制や若者の酒離れが進むことを想定し、社会とお酒の新しい在り方をテーマにノンアルコールや低アルコールの「いいちこ」をつくることはできるのか、というのが、私に与えられたテーマでした。「どこをどう変えたらノンアルコール、低アルコールの『いいちこ』をつくることができるのか」というところから研究を始めて、麹や酵母の工夫というよりも、蒸留や精製の工程で、「味を取り過ぎない」アプローチに力を注ぎました。
――どこをどう変えたらノンアルコールだったり、低アルコールでも美味しい「いいちこ」がつくれるのですか。
少しテクニカルな話になるのですが、蒸留の時間経過と共にアルコール度数が変化する過程で、他にも変化する成分があります。ずっと残るもの、飛んでいくものがあり、それらがダイナミックに変化していくのですが、そのなかで甘味を感じるセクションだけを取り出して使えば、低アルコールで、かつ、美味しい「いいちこ」がつくれるのではないかという取り組みを行いました。精製工程で味をクリアにしすぎないというアプローチも有効でした。ノンアルコールについては、アルコールを除去するという手法に取り組んだのですが、「いいちこ」らしさを感じる大切な成分も一緒に除去されてしまい、実現には至りませんでした。
――そのような知識は大学時代に得たものですか。
いえ、入社してからですね。そういう意味でも製造部、品質保証部でのキャリアは重要でした。先輩にそのあたりの専門の方がいらっしゃったので、指導してもらいながら行いました。化学式を書いたりすることには抵抗がなかったので、元々高分子の研究をやっていたこともあり、ある意味、適任だったのではないかと思います。
――ノンアルコール、低アルコールの「いいちこ」は完成したのでしょうか。
15%程度までアルコール度数を落としても、味の乗った「いいちこらしいもの」はつくることができました。加えてさまざまな酒質のブレンドについても工夫を凝らしました。商品化には至っていませんが、大切なシーズになったとは思っています。そして2017年頃から「アルコール体質」をテーマとした研究に取り組み始めました。
――アルコール体質検査キット「Nomity」事業ですね。ところで、人の「アルコール体質」というのはどのように決まるのでしょうか。
「アルコール体質」には5つの型があります。お酒を飲むと、アルコール(エタノール)の20%が胃で、80%が小腸で吸収されます。吸収されて血中に入ったエタノールは、肝臓に運ばれて代謝されます。代謝酵素にはエタノールをアセトアルデヒドに分解する酵素「ADH1B」と、強い毒性をもつアセトアルデヒドを分解する酵素「ALDH2」の2つの酵素があり、アルコール体質は、この2つの酵素の活性の組み合わせで決まります。
◇お酒の分解と代謝酵素
この5つの型はアルコール医学研究の第一人者の先生方が提唱したもので、広く公開されています。「Nomity」は、この5つのアルコール体質を判別する遺伝子検査キットです。網羅的で高価なものではなく、あえてアルコール体質に特化したサービスになっています。
検査キットの原形は、当時、武庫川女子大学薬学部教授であった木下健司(きのした・けんじ)先生が開発された特許技術に基づいています。これをより一般の方にも親しんでもらえるようにビジュアル面を工夫したり、当社もメンバーとして参加している「やさしい酔い研究会*1」メンバーで、筑波大学医学医療系准教授の吉本尚(よしもと・ひさし)先生に監修を頂くなどしてブラッシュアップしていきました。吉本先生は、健幸ライフスタイル開発研究センター長、北茨城市民病院附属家庭医療センター飲酒量低減外来ドクターも務めておられる方です。そして福岡のITベンチャーとタッグを組むことでICT技術の導入を実現することができました。*1 やさしい酔い研究会: すべての人と社会の多様性に調和する新しいお酒の在り方を科学的に探究する、産学連携の研究組織
「アルコール医学」の研究に踏み込む時は、もう本当に分からないことだらけで、第一人者でいらっしゃる長谷場健(はせば・たけし)先生、アルコール依存症治療病院として有名な久里浜医療センターの横山顕(よこやま・あきら)先生に教えを乞い、大変お世話になりました。
◇アルコール体質検査キット「Nomity」で分かる5つの体質タイプ
――「アルコール体質」をテーマに研究するにあたり、遺伝子検査に注目したのはなぜですか。
A、B、C、D、Eという型がまるで血液型みたいで面白いと思いました。この検査で分かる体質類型は生涯変わらないのです。自分のアルコール体質を知ることで、それぞれの類型に向いたアルコール飲料との付き合い方、「適正飲酒」が把握できるのではないか。このアルコール体質検査キットを使って、広く市民に訴えかけることができるのではないかと考えました。
――酒類メーカーである三和酒類が「アルコール体質検査」を推奨することには、どのような意義があるのでしょうか。
国がアルコール関連問題を重視してアルコール健康障害対策基本法を施行し、2024年には厚生労働省が飲酒ガイドラインを作成することからも分かるように、アルコール業界全体の未来を考えると「適正飲酒」は避けては通れない。しかし、規制対策といったネガティブな理由ではなく、自分たちがつくった大切なお酒をすべての人に楽しんでもらいたい、一人も悲しい思いをしてほしくないというメーカーの原点に帰ること、これこそがシンプルな答えなのではないかと考えるようになりました。「適正飲酒」を推奨することこそ、当社にメリットがあるというビジネスモデルを1本しっかり立てることができれば、あとはそれを信じて一生懸命走るだけです。
ご存じの方も増えてきていると思いますが、飲酒習慣を持たない人というのは実に多いのです。大量飲酒者に依存する収益形態よりも、非飲酒習慣保持者を取り込んですべての人が生活に潤いを与えるようなお酒スタイルを身に着ける方がかえって収益性が高まるのではないか、と考え方をシフトさせました。
厚生労働省の「健康日本21」によると「『節度ある適度な飲酒』としては、1日平均純アルコールで約20g程度である」とされています。純アルコール20gをアルコール度数5%のビールに換算すると500ml缶/瓶1本です。この量をお酒を飲む習慣を持たない人口に当て込んでどのくらいの市場があるか計算したところ約1兆円でした。そして飲酒習慣の有無はアルコール体質と切っても切れない関係にあると推測されます。
ここに手をつけてこなかったのは、マーケティング的に非常にもったいないと感じました。例えば、アルコール度数は低めでも、本格的な味わいのカクテル缶をつくることができるかもしれません。1本200ml程度と低容量にすることで、一晩にいくつもの味を楽しむこともできます。数百円するコンビニスイーツも珍しくありません。日常のちょっとした特別な機会に、「多少高くても買いたい」と思っていただけるような商品群は今後、とても有望なのではないかと思います。
また、体質的に飲める人が多量飲酒を続けて、その途中でアルコール依存症や疾患にかかってしまいドクターストップをかけられるよりも、適正飲酒で一生涯楽しんでいただく方が結果的に収益性も高まるのです。つまり、すべての人が適正飲酒をすると、アルコール市場の可能性はもっと広がるはずなのです。
――「適正飲酒」をするためにすべての人が自分自身のアルコール体質を知っておくことが必要だということですね。串尾さんは実際に「Nomity」を用いて「体質別の酔い方の違い」について研究し、学会発表もされたそうですね。
はい。体質別の酔い方の違いを調べるには、呼気中のエタノールとアセトアルデヒド濃度の計測と、「顔が赤くなりましたか」「吐き気がしますか」などといった自覚症状を併せてデータを取ります。私は「焼酎の飲み方と体質」というテーマで、アルコール体質A、B、C、D型の人計20名ほどに集まってもらい、トータルのアルコール量は同じでも、ストレートとお湯割りと水割りという飲み方の違いによって自覚症状と呼気中の濃度に差があるのか、という調査を行いました。
その結果、飲んだ後の呼気中のアセトアルデヒドの濃度については、A、B型対C、D型で大きな違いがありました。A、B型の人が飲んだ直後の濃度と同じ値に下がるまでに、C、D型は約3時間もかかることが分かりました。これは既報通りの結果なのですが、あらためて体質によってお酒を飲んだ時の体感が違うことを実感させられました。興味深かったのはお湯割りを飲んだ場合の結果です。呼気中の濃度は水割りやストレートの場合と大して変わらないにもかかわらず、「酔っている感覚」が水割りやストレートに比べて強いことが分かりました。
その後、大分大学のCTU(クリニカル・トライアル・ユニット)という病院内実験室を利用して、お酒の合間に飲む「チェイサーの効果」について調べました。被験者はアルコール体質A、B型、つまりお酒が飲める型の当社の社員です。二日酔いをテーマにしたため、少し多めのお酒を飲んでもらいました。もちろん実験にあたっては倫理委員会の承認を得ています。
お酒だけを飲む人、お酒と水を飲む人に分けて、先ほどの調査と同じ評価、呼気中のエタノールとアセトアルデヒドの濃度と自覚症状に加え、集中力を測定するテストも行いました。お酒を飲んだ直後から睡眠も挟んで、15時間点まで追跡しました。
――酒飲みとしてはとても興味がわくご研究です。
飲酒直後はむしろ水を飲んでいるグループの方が、集中力が低いという結果が得られました。かなりの量のチェイサーを飲んでもらったため、お腹が膨れてしまったのではないかと考察しています。しかし飲酒後5時間点、つまり起床後すぐのテストではチェイサーを飲んでいるグループの方が、集中力が回復していることが分かりました。
興味深かったのは、チェイサーを飲んだからといって、アルコールが薄まる訳ではないということです。起床後の呼気中エタノールとアセトアルデヒドの濃度はチェイサーの有無で差が確認されませんでした。
世間一般で認識されるチェイサーの効果とは、チェイサーを飲むことによって満腹感から酒量が減り、またアルコール飲料を口に運ぶペースが落ちるということに起因するのではないかと示唆される結果になりました。この調査結果は日本アルコール・アディクション医学会*2の学術総会でも発表しました。*2 日本アルコール・アディクション医学会:1965年に設立された、アルコールおよび依存・嗜癖(しへき)に関する総合的な研究を行う学会。
――とても興味深いテーマですが、こういった研究は今までされてこなかったのでしょうか。
そうなんです。アルコールは非常に分子が小さく、ひとたび飲んでしまえば脳の関門も突破してしまいますし、体の中でどのように作用しているのか分からないことが多いんです。お酒に関する研究というのはいまだに発展途上で、よく言われるお酒の知識も通説や都市伝説でしかないことも多々あります。一般の方にも関心を持っていただけるテーマを真面目に検証して発表することは、お酒に対する興味喚起としても重要だと思います。
――「Nomity」事業としては、今後どのような展開を考えていますか。
飲める人と飲めない人との「飲み会の不公平性」はよく言われることです。あらかじめアルコール体質検査をしておいて、C、D、E型の人は負担金額が下がる、あるいはアルコール飲料の金額を下げるぶんだけ料理のグレードが上げられるなど、お店とタイアップしながら、そういう活用ができたらいいですよね。
また、最近では、ひと昔前のように飲めない人にお酒を強要するような事態よりむしろ「飲めない人を気遣う」ことの方が増え、C、D、E型の人からすると、「気遣われるのが嫌」という意見もあるようです。ですから、低アルコール、ノンアルコールだけどしっかりしたカクテルで、むしろビールより値段が高い、という商品やメニューが増えることで、アルコール業界、料飲店業界の流れが一気に変わるのではないかと思っています。
そのような商品、メニュー開発において、比較的クセのない本格麦焼酎は最適だと思います。自由にアルコール度数を変えることができて、カクテルにも使いやすいのでいろいろな味が楽しめる。これがクセのある蒸留酒だとちょっと難しい面がありますよね。そして、1%でもお酒を加えることで味わいが深くなるということも納得していただけると思うんです。
他にもアルコール体質のタイプ別のコースターを作ったり、それこそ血液型のように相性診断に利用したり。活用方法は今後はさまざまに広がると思います。
また、健康面で言えば、A型はアルコール依存症の可能性、D型は口腔、消化管のがんの可能性が高いことが分かっています。例えば、健康診断で数値として表れていなくても、アルコール体質検査の結果を見せて「D型です」と言えば、お医者さんが「でしたらそのあたりのエコーを念入りにしてみましょう」、というような流れになるかもしれません。検査が普及すれば、お医者さんにも治療に取り入れてもらえるようになりそうです。
お酒の指導は患者さんがかたくなになりがちで、プロでも切り出し方が難しいのだそうです。「こういう検査があるのでやってみましょうか。ちなみに私は〇型で」といったやわらかい接し方をするためのツールとして使っていただくということもできると思っています。
A型の人はアルコール依存症のリスクが高いというお話はしました。白色人種・黒色人種の90%以上がA型です。その結果、欧米ではアルコール依存症の患者数も多く、そのぶん、世間や家族の理解も進んでいます。
しかし日本人にはA型は3%しかいません。大多数の人は依存症から遺伝子で守られていることに無自覚で、「意志が弱いから依存症になる」「治しても偉くない、当たり前」という偏見を持ってしまいがちです。そのため日本では、アルコール依存症であることを本人も家族も隠したいというケースが多く、深刻な状態になってはじめて病院に行くということも珍しくありません。アルコール体質検査が普及することで、「A型だとアルコール依存症になる危険性が高いよね」といった共通認識が広がります。この潜在意識の変容こそが重要だと思っています。
お酒というものは、特別な時間を演出するのにも、日常のストレスや疲れを癒やすのにも欠かせないものであり、「やさしい酔い」はウェルビーイング(身体的、精神的、社会的に満たされた状態)やQOL(クオリティー・オブ・ライフ/生活の質)向上に寄与するものだと私は思っています。
「これぐらいの量に控えないといけない」とか逆に「これぐらいの量であれば体にいいのかもしれない」といったことは意識せずとも、特別な日の乾杯に、また疲れた日の一杯を普通に飲んでいるだけで、自然な形で適正飲酒が実現されている社会を、我々酒類メーカーは目指さなければいけないと思っています。
「Nomity」事業としては、アルコール体質検査をエンターテインメントとして利用・活用していたら、その結果、自然と適正飲酒に近づいていた、という状態を狙っています。
――最後に今後の研究予定についてお聞かせください。
これまでは、お酒の良さを語る人も弊害を語る人も、互いにエビデンス(根拠)が薄い世界でした。今後は、このアルコール体質検査に加えて、性差、身長・体重、出身地のデータ、何日にどのお酒をどれぐらい飲んだかといったより深い記録・データを取って解析することも大切だと思います。
さらにはお酒を飲んだ日のストレス値や、飲んでいる時や飲んだ後の幸福度も測っていかなければ不十分だと思うんです。このような項目を10問ほどの質問にまとめて、毎日3年間など調査することができたら、それは適正飲酒に関する世界一の研究になるのではないかと思っています。
PROFILE
串尾聡之(くしお・さとし)
三和酒類株式会社 三和研究所 ウェルビーイング研究室 チームリーダー
1989年、大分県中津市生まれ。2013年、九州大学大学院工学研究院応用化学部門の修士課程修了。同年三和酒類株式会社に入社。製造部、品質保証部を経て、三和研究所に異動。低アルコール・ノンアルコールの「いいちこ」開発などに取り組む。2019年に技術士(生物工学)資格を取得。現在はアルコール体質検査キット「Nomity」の商品化、その結果を活用した「適正飲酒」の普及に取り組んでいる。趣味は、学生時代には軽音楽部で演奏活動をしてきたが、いまは音楽鑑賞と読書。無類の外飲み好きで、アルコール体質はB型(お酒に強いが飲み過ぎがち)。お気に入りのカクテルは本格麦焼酎「西の星」にかぼすを絞り、トニックでアップした「カボニック」。