元重宝水産株式会社社長/さかなづくりアドバイザー佐々木 兼照
――佐々木さんが養殖のお仕事を始めたのはいつ頃ですか。
高校生の時に親父から、「兄貴は巻き網漁を頑張っている。お前も臼杵に残って兄貴の手伝いせんか」と言われて、高校卒業後から巻き網漁で収穫した魚を大分市の魚市場(大分市公設地方卸売市場)に運ぶ仕事を始めました。市場は朝早いので、帰ってきてから、親父が手がけていたブリの養殖の手伝いをするようになりました。じいちゃんはいりこを取って尾道とかに運んで商売しよったという話は聞いたので、やっぱり代々、海からは離れていないな。
1980(昭和55)年、臼杵湾の三ツ子島から黒島の間に養殖場ができました。国と大分県の指導による浅海漁場(せんかいぎょじょう)開発事業*1によるものです。当時、臼杵市内の他の場所で養殖をしていた業者が2、3軒あって、皆がこの漁場に入ることが条件で開発されました。*1 浅海漁場開発事業:浅海漁場とは沿岸の浅い(水深200m以浅)海域を指す。ここで行われる漁業を浅海漁業と呼び、ブリやハマチ、アジ、カキなどの魚貝類、クルマエビなどの甲殻類、ワカメ、ノリなどの海藻類を養殖する養殖業も含める。「浅海漁場開発事業」は水産業の発展を目的として国と都道府県が実施してきた漁業振興施策の一環。
うちは元々、すぐ対面の場所で養殖を営んでいたので、元の漁場からいけすを引っ張っていきました。当時はタイのいけすが1台、アジが1台、ブリが5台ぐらいあった。ブリは1万匹まではいなかったかな。
ブリは単価がいい時も悪い時もある。赤潮で死滅した時もあった。大変な時もあったけど、一番多く持っていた時で18万匹。それが最盛期ですかね。
――大分県は養殖ブリの生産量で鹿児島、愛媛に次いで全国3位とのこと。ブリの養殖は九州と四国に集中していますが、それはなぜですか。その中で臼杵湾にはどのような利点がありますか。
リアス海岸で波が穏やかで、いけすを設置しやすいというのがまずひとつ。それから水温やな。ブリの生育には18度から27度くらいが一番適してるんだけど、適正水温の期間が長ければそれだけ成長するっちゅうこと。
ブリの養殖をしているのは四国の佐田岬から佐賀関(さがのせき)を結んだところ。鹿児島から宮崎、大分まで日豊海岸をずっと北上してきたら、臼杵湾が一番北ということになる。ちゅうことは、臼杵湾は水温的には、九州の中でも比較的低くて、ブリの生育には厳しい時期があって、サイズ的には小ぶりなものが多い。だけど、逆に肉質がいいんです。
それに病気の件もあるんやな。水温が15度以上あったら魚の病原菌は死滅しにくいけど、臼杵の場合は水温が低い時には12度、11度台になることもあるので、病原菌が死滅しやすい面もある。
それから長く養殖をやっていると底にヘドロがたまって、そのままだとガスを発生する。だけどこの辺りは大きな台風が来ると海の水がかき混ぜられるんですね。1980(昭和55)年の国の浅海漁場開発事業で開発されたたくさんの漁場の中で、いまだに生産が続けられているのは臼杵湾だけじゃないかな。
そして山に囲まれているので、山からの栄養分も海に入ってきますよね。三重県から移住して真珠の養殖をしている人が農林水産大臣賞を取ったくらい、栄養分が多いのも臼杵湾の利点です。
――臼杵湾はブリの養殖に非常に適しているのですね。さて、大分県の農林水産研究指導センターでかぼすブリの研究が始まったのは2007(平成19)年頃だそうですが、佐々木さんが当時経営されていた重宝(じゅうほう)水産株式会社に、かぼすブリ養殖の声がかかったのはいつですか。
2010(平成22)年のことです。大分県から水産養殖協議会に下りてきて、協議会に所属している業者に「どなたかフィールドで試験(いけすで実際に養殖して報告書を提出)してみませんか」という案内がきて。手を挙げたのが私のところを含めて4社。でも正直なところあまり気乗りせんかったんです。
それまでも、他の地域よりも少しでもいいブリ、差別化できるブリをつくろうと、いろんな試みをやってきていましたから。活水を流すといいと聞けば活水装置を付けたり、餌ににんにくを入れるといいと聞いて試したこともある。他にも餌に発酵魚粉やらビタミンEやらを入れてみるといった、いろんな試みをやってきたけど、「これぞ」というものがなかった。
そんな経緯があるので、県から「かぼすをやったらいい結果が出た」と言われても、すぐに、はい、やりましょうと素直にはいかなかったんだけど、従業員に相談したら、「社長、面白いかもしれんで。やってみましょうよ」って言ってくれて。「ほんならやろうか」と。
――従業員の方のひとこともあって、かぼすブリに挑戦することを決められたのですね。かぼすを餌に混ぜる時にはどのような形状にするのですか。
イワシや小アジなどをすりつぶして粉末配合飼料を混ぜた半生状態の餌に、1台はかぼすの果汁、もう1台は果汁を粉末にしたものを混ぜる。それらを固めたものを、半生状態なのでモイストペレット*2と言います。うちは2台のいけすでそれぞれかぼすの果汁、果汁粉末を混ぜたモイストペレットの試験をしました。*2 ペレット:粉末を固めて固形状にしたもの。養魚飼料に使う「モイスト(湿った)ペレット」はその名のとおり半生状態で柔らかいもの。
その結果、かぼす果汁の粉末を使った方がかぼすの効果が高かった。でも、粉末は値段が高過ぎて採算が合わんのです。それで2年目も3年目も果汁でやっていたら、いい結果が出るようになりまして。かぼすの果汁がいいんだったら果皮でもいいんじゃないかという話になって、かぼすを搾った後に出る果皮をまとめて低温乾燥してみようということになった。
試したのは佐伯(さいき)市の米水津(よのうづ)*3という場所。米水津は魚の加工が盛んで、干物を作る時の低温乾燥する設備があるんです。果皮を粉末にして餌に加えた米水津産のかぼすブリの生育結果がすごく良かった。*3 米水津(よのうづ):臼杵湾から南東に約50km行ったリアス海岸に位置する地域。米水津湾を中心に良好な漁場に恵まれている。
それで私どもは大分県漁業協同組合(以下、大分県漁協)と大分県水産養殖協議会と一緒になって、杵築(きつき)市のJA(農業協同組合)の加工場でかぼす果汁を搾った後の果皮をもらって、豊後高田(ぶんごたかだ)市にある食品会社に持ち込んで低温乾燥して粉末を作ってもらうことにしたんです。
高温乾燥ではビタミンCが壊れてしまうから、やっぱり低温乾燥せんとね。それで価格的にも採算が合う粉末を安定して手に入れることができるようになりました。パウダーになってからは作業がずいぶんやりやすくなったな。
サンプリング試験では、普通の餌で育てたブリと、かぼすを混ぜた餌を使ったかぼすブリを比べると、血合いの変色時間の差が14時間あったんですよ。なかには20時間経っても色が変わらないというものもありました。
――そもそも血合いが変色すると鮮度に変化はあるのですか。
見た目ですよ。普通のブリもかぼすブリも、刺身にして並べても鮮度的にはそう変わらないけれど、血合いの部分が変色してくると「ちょっと色が濃うなったな」と。カンパチやヒラマサは色がそんなに変わらないから、他のブリ類に比べたら、変色したブリはちょっと見劣りするのでできるだけ変色は避けたい。
でも見た目だけじゃなかったんです。オレがなぜここまで、かぼすブリにほれ込んだかちゅうと、他にも理由がある。普通のブリを3枚におろした手を顔の近くに持ってくると、「生ぐせー」ってなる。だいたいブリが市中に出回る頃(11月頃)には、台所に置いてあるかぼすが黄色くなるんだけど、それを輪切りにして手につけると臭いが消えるというようなことをしていました。
ところが、かぼすブリが生まれてからは、それを家で妻がさばいた時に、「見てー、臭ねーで」ってオレの前に手を持ってきてくれて。それが本当に臭くない。その経験がやっぱり大きかったな。
味はというと、刺身で食べた時、けっこう脂は乗っちょってもしつこさがない。普通のブリやったら3、4切れ食べたら口に脂が残るんじゃけれど、このかぼすブリは脂がしつこくないからいくらでも食べられる。それで、大分大学の望月聡(もちづき・さとし)教授に、「この脂の違いを数値で表すことができたら、売り込みに行った時説明しやすいな」と相談に行ったんです。
そしたら望月先生が「脂の融点が全然違います」とおっしゃった。例えば牛肉は融点が高い。それから豚肉、鶏肉の順番に下がっていくんだけど、「かぼすブリの脂は鶏肉の脂に似てるけん、口に残らずさっぱり感があるんだ」という説明をしてくれました。
それから若い子にかぼすブリをすすめたら「かぼすの香りがする」ちゅうんよ。オレが食べたって分からんのに「うそじゃなかろうか」と思ったんじゃけど(笑)。大学の先生が調査してデータを取ったところ「若い子は香りに敏感じゃけー、分かるんだ」と、言われたんです。
そういえば、姪っ子が北海道におって、北海道にかぼすブリを送ると1日半ぐらいかかるんだけど、刺身に切った時、かぼすの香りが分かるって。鮮度のいい時はかぼすの香りが分かりにくいけど、ある程度時間が経った方が香りが出やすいということも分かった。
望月先生は、大分の「関あじ」「関さば」の味の良さを証明してくれた先生です。「関あじ」「関さば」が有名になったのは先生のおかげなんよ。
――かぼすブリは血合いの変色が遅いというだけではなく、さばいた時の臭みがなく、脂がさっぱりとしていて、ほんのりとかぼすの香りがするのですね! このように開発されたかぼすブリ、市場の反応はいかがでしたか。
2010(平成22)年にフィールド試験が始まり、2012(平成24)、13(平成25)年頃になると認知度も上がって、年末の出荷時期には「もう、かぼすブリじゃねえと」というくらいの状況になったね。それでかぼすブリ養殖に参画する業者も増えて。それまでは一人舞台でよかったなと思いよったけど、排他的になる必要はないし、かぼすブリというものが世の中に広がっていけばいいかなと思ってね。
――どこの養殖業者がつくっても「かぼすブリ」ブランドに統一されているのですか。また出荷はどのように行うのでしょうか。
試験をクリアしたものはすべて「かぼすブリ」ですね。東京や大阪の市場から大分県漁協に注文が入り、朝に漁協から「今日は何本締めて」と言われる。東京行き、大阪行き、千葉の船橋行き、それぞれに箱詰めして仕分けておく。東京方面へは航空便、大阪方面へはトラック便で送ります。
しっかり活け締め*4してから氷水につけておくと、だいたい30~40分でバタバタッと戻り(一時的に動き出す現象)が来る。うちは昔から地元出荷もしていたから、臼杵から大分市の市場まで車でちょうど30~40分。ブリの芯までよう冷えた状態で出荷していたな。事業承継する少し前からは魚の神経を抜く神経締めという方法も出てきて、死後硬直を遅らせることで鮮度を保つという締め方もしていました。*4 活け締め:魚の延髄と動脈を裁断し、血抜きを施して鮮度を保つ技術。
――重宝水産がかぼすブリのパイオニアとして知られるようになったのには、どのような工夫があったのでしょうか。
いいかぼすブリを育てるためには、普通のブリのレベルを高めておくことが重要です。まずは密殖*5しないこと。そして餌も大事。うちではビール酵母を混ぜていました。ビール酵母を与えると、ブリ独特のイエローテイルという黄色の線が鮮やかに出てくるんですよ。それからいい稚魚(ちぎょ)を仕入れることも大切。うちでは信頼できる業者さんから長年仕入れてきました。*5 密殖:いけすに限度以上の数量の魚を養殖すること。
――かぼすブリのPR活動にも力を入れられたそうですね。
東京の銀座に大分県のアンテナショップ「坐来(ざらい) 大分」がありますが、そこでかぼすブリを展示、評価していただく求評会をやった時は、水産卸会社の方や、都内の有名寿司チェーン店の役員の方なども来られました。その中にはその後、社員研修のため臼杵まで来られる会社もありました。
テレビや雑誌の取材もたくさん受けましたよ。地元の各放送局をはじめ、在京のテレビ局の人気番組などで芸能人もたくさん来ました。メディアの取材を断ったらいけんなと思ったのは、かぼすブリを紹介する前段として、まずは大分県や臼杵市がどういうとこかっちゅう紹介をしてもらえるから。これは地元のためにも取材は受けんといかんなと思いました。
――2019(令和元)年、佐々木さんは51年にわたる養殖の仕事を引退し、ご自身の経営していた重宝水産株式会社の事業を新たに設立した株式会社大分みらい水産に承継されました。大分みらい水産のホームページには「元社長、佐々木兼照さんが語るかぼすぶり誕生秘話」のページがあり、佐々木さんの思いはそこでも読むことができます。今改めて、どのような“魚づくり人生”でしたか。
私は人には恵まれたな、と思います。大分みらい水産に引き継いだ時も社員には若い人が多くてね。長年取り引きしてきた稚魚の業者さんから、「ここほど若い人がおるとこは珍しいよ」って言われたな。長年勤めてくれた元社員からは「社長のおかげで日本中あっちこっち回れた」って言ってくれたな。
昔から福利厚生もせんといけんなと思って、皆で社員旅行に行ったり、日曜・祝日の給餌(きゅうじ)作業はやらないようにしたり。給料もしっかり出してやらんといけんな、社会保険も入らんといけんなってね。おかげで会社には若い人も来てくれたし、長く勤めてくれた人も多かった。仕事場はきれいにせんといかんちゅうて、整理整頓をうるさく言ってきましたが、みな協力してきれいな仕事場を保てていたのもよかったなと思います。
PROFILE
佐々木兼照(ささき・けんしょう)
1949(昭和24)年、大分県臼杵市生まれ。高校卒業後、家業である水産業に入ると同時にブリの養殖を始める。元重宝水産株式会社社長。2010(平成22)年からかぼすブリの養殖に着手。「かぼすブリ」ブランドの確立に貢献し、パイオニアとして知られる。2019(平成31)年、重宝水産株式会社から株式会社大分みらい水産に事業を引き継ぐ。現在は「さかなづくりアドバイザー」として後進の相談を受ける。趣味はゴルフで45歳から始める。それまではパチンコで今は卒業。お酒はたしなむ程度だが、日本酒、それも大吟醸が好み。