絵本作家/美術家 ザ・キャビンカンパニー阿部健太朗、吉岡紗希
――お二人が絵画や造形などアートの世界に惹かれたのはいつ頃、どんなことがきっかけでしたか。
吉岡 私は子どもの頃から本当に絵を描くことが好きでずっと描いていました。でもその絵を人に見せるのは恥ずかしくて、隠れて描いていたんです。似顔絵を描いて教室で見せたり、運動会の横断幕を描いたりはしていましたけど、美術部だったわけでもなくて。小中高はずっとテニス部だったんです。
阿部 僕も高校までサッカー部だったのですが、そんなに好きでもないし上手くもなかったんです。ずっと「ここじゃない感」がありました。一応絵は得意で文集の表紙や運動会の横断幕を描く係ではあったのですが、「絵が好き」というのをなかなか周りに言えないでいました。
――お二人とも高校までは絵を習ったり、美術部に所属したりしていたわけではないのですね。しかし大学は、大分大学教育福祉科学部 学校教育課程 教科教育コース 美術選修(当時)に進学します。どのような理由があったのでしょうか。
吉岡 私は最初、美術の先生になろうと思ったんです。
阿部 僕は正直なところ、先生になりたいという気持ちはあまりなかったんですけど、親が教員なのでなんとなく「教員になってほしい」みたいな圧力は感じていたんですよね。でもどちらかというと「美術を学んでみたい」という思いが大きかったですね。
――美術大学や芸術大学ではなく、地元の大分大学を選ばれたのはなぜですか。
阿部 高校が進学校だったので、受験勉強をするのが当たり前の環境でした。それに秋まで部活をしていたので、センター試験8割、小論文1割、デッサン1割の点数配分で受験できる大分大学なら、という感じでしょうか。一応、デッサンも少し習いに行ったのですが、美大や芸大を受験する人たちのようにやっていた訳ではないです。
吉岡 私も同じような感じですね。大分で生まれ育って、周りの人から「行ったらいい」と言われた大学が大分大学だったから。本当に私たちって高校までは周りに流されて生きてきたんです(笑)。
阿部 うん、ほんとに。
――大学に入って、本当にやりたいことに出合ったのですね。そして大学2年生の時にユニットを組みます。どういったところで意気投合したのですか。
阿部 美術選修には同級生が4人いたのですが、吉岡と僕が運動部出身、他の2人は美術系の高校出身だったので、美術の初心者同士で気が合ったというのが最初ですね。
吉岡 「絵の具ってどこで買うのかな」っていうところから始まって(笑)。それに本や映画、漫画の話などでも気が合って、すごく話をするようになりました。ポケモンとかも好きだし。高校までは芸術や文学について話ができる人が周りにいなかったんです。
――ポケモンに関しては、後に出版社からの依頼で「ポケモンのしま」(2020年、小学館)という絵本を出すほどのポケモンフリークでいらっしゃいますよね。好きなものが似ていて、それについて話せる相手は貴重ですが、お二人はいわゆる「運命的な出会い」だったのでしょうか。
阿部 いやいやそんな綺麗な感じではなくて。
吉岡 模索する中での混沌とした出会いかな(笑)。そんな感じで2年生になった頃、文化祭用に作った絵のポストカードを一緒に売ってみようかってことになったんです。それまでは授業の中で作品を作っていたわけですが、初めて「作品と社会がつながった瞬間」でした。
阿部 その頃はまだ共作ではなくそれぞれの作品を作っていたんですけど、作風は似ていたと思います。好きなものが近いので目指す方向も近くなるんでしょうね。
吉岡 2人ともアクリル絵の具で描いたポップな作風でした。
阿部 路上で絵を販売するといろいろ考えることが出てくるんです。道ゆく人々はどんな作品を求めているのだろう、とか。そのあたりから実際に「絵を生きる糧にすること」を意識するようになりました。
――以前、koji noteでお話を聞いた画家の北村直登(きたむら・なおと)さんも、路上でポストカードを売ることからプロの画家としての道をスタートしたとおっしゃっていました。
吉岡 北村さんも大分の地で作品を作り続けている一人ですね。
――それでは初めての共作はいつですか。
阿部 大学4年生の時です。最初は大分市の路上で販売していたんですけど、そのうちにギャラリーでやってみないかと声をかけていただいて。由布院駅アートホールというところで初めて大きめの展覧会(個展「ボンボとヤージュ」)をすることになりました。
吉岡 それで「得意なところを活かし合って2人で1枚の絵を描いたらどうなるんだろう」と描いてみたところ、面白い絵が描けたので、それから2人で1枚の絵を描くようになりました。
阿部 2人で並んで描いた初めての共作が、50号(キャンバスサイズ91×117.2cm)の「大ウツボ戦闘記」でした。
吉岡 それがTURNER AWARD 2010 未来賞*1を受賞したんですよね。東京藝大など多くの美大生が出品するコンペなのであまり自信はなかったのですが、そこで受賞できたので、背中を押してもらえた気がしました。*1 TURNER AWARD 2010 未来賞:「TURNER AWARD」は、絵の具メーカーのターナー色彩が、1990年から国内の学生を対象として開催している公募展。
――大学卒業後、由布市の石城西部(せきじょうせいぶ)小学校跡をアトリエにして、制作拠点とします。絵を仕事に、というのは在学中に決意されたのでしょうか。
吉岡 ただただ作品を作ることに一生懸命で。没頭しすぎていたので、ちょっと周りが見えてなかったというか。就職とか考える余裕はなかったです。
阿部 本当に作品を作っていたらあっという間に4年間が終わっていました。展覧会があるからって、特例で教育実習をちょっと休ませてもらったりもしましたね。そして、僕たちが卒業したのが2011年。東日本大震災の直後でした。卒業式で教授は、はなむけの言葉ではなく「こんなときに芸術は無力だ」とおっしゃったんです。
吉岡 先生のお知り合いが東北にいらしたこともあって、先生も絶望感を抱いていたんだと思います。そして私たちはその言葉と共に卒業しました。
阿部 みんなが就職していく中で、「無力だ」と言われた芸術をやっていこうと決めたんですよね。だから本当に世間から取り残された感覚でした。3月にこの廃校を使わせてもらうことが決まって、卒業後に森の奥の廃校で、2人でポツンと絵を描いていました。でも今考えると、教授のあの言葉によって、私たちは芸術に対してより深く思考できるようになったのだと思います。
――廃校となった石城西部小学校をアトリエにしたのはどのような経緯なのでしょうか。
吉岡 とにかく膨大な作品量を作っていたので、卒業したら大学からそれらを出さないといけないじゃないですか。いったいどこに持っていけばいいのかと悩んでいた頃、大分には廃校がいっぱいあると聞いたんです。
阿部 僕らの作品が大学を半分占拠していた状態だったんですよ。いろんな廃校を見に行った中で、この学校の赤い屋根と青空と緑が美しいなと思って。ひとめぼれでした。
吉岡 それで、地区の寄り合いに突撃参加したんです。当時はまだ大学生で本も出していませんから、とにかく自分たちの作品を見せるしかないですよね。この田代地区のみなさんは全員がこの学校の卒業生なんですよ。大切な母校ですから、貸す貸さないを丁寧に議論していただいた結果、貸してもらえることになったんです。
阿部 僕たちってあまり先が見えるタイプじゃなくて、目の前のことをとにかく懸命にやっているうちにいつのまにか積み上がっているというか、後ろを見て気づくってことが多いんです。大学進学の時も大分で美術が学べるから大分大学へ行き、作品を作ることしか考えていなかったら、作品量がいつのまにか膨大になり、卒業となれば、作ったものを学校から出さないといけない!と慌てて、作品を入れる廃校を探すといった感じで。
吉岡 大分にいるからこそ作れた作品群だと思います。私たちの絵本にはどこか南国っぽい雰囲気があるのですが、やはり作家が住んでいる土地の色が作品に反映されるので、この過疎の集落の、この廃校にいるからこその作品が描けるんだと思うんです。だから今は「大分に居たい」と強く思っています。
阿部 ここの集落の人たちは70歳ぐらいの方が多くて、みなさんが草刈りをしてくれたり、田んぼを維持してくれているのですが、あと10年後20年後にはいったい誰が草刈りをするのか、田んぼはどうなってるのだろうか、ということを真剣に考えるようになってきました。そういう場所で僕らは制作してるんだなって。
この学校の校庭、来た時は土のグラウンドだったんです。でもこの10年ほどの間に草原になってしまって、遊具も森に飲み込まれちゃったんですよ。奥にあった公園もなくなってしまいました。アメリカの絵本作家、バージニア・リー・バートンの「ちいさいおうち」、スタジオジブリの「平成狸合戦ぽんぽこ」など、山や森が都市化されていくというテーマはありますが、ここにいると人工物がどんどん自然に飲み込まれていくような、逆の感覚を覚えます。人間よりもイノシシやシカの方がよっぽど元気なんですよね。
これからこの集落がどうなっていくのか見届けて、それを作品にしないといけないのかなと。そんなある種勝手な使命感が出てきたのは、ここ5年くらいのことです。
吉岡 2023年に出版した「ゆうやけにとけていく」(小学館)では、この辺りの田んぼをモデルにして描かせてもらいました。軽トラも実際のものを見ながら。集落のみなさんは作品になった絵を見て、すごく喜んでくれました。
――巨大な立体作品なども多数制作されているザ・キャビンカンパニーさんですが、絵本を制作の軸にされたのはなぜですか。
阿部 当初は絵の職業といってもよく分からなくて。漫画家ならなんとなくイメージできるのですが、画家やイラストレーターってどんなことをするのだろうと思っていました。
吉岡 画家、イラストレーター、彫刻家など、いろんな美術の役割がある中で、自分たちが一番何をしたいのかを2人で考えたんです。それで、私は最初からずっと絵本を描きたかったなって。絵本って人間が生まれて最初に触れる文化、作品だと思うんです。小さい頃に読んだ絵本のイメージって強烈に残っているんですよね。
阿部 2人が好きだなって思う作家が共通していて、それらの作家はほとんどみんな絵本を描いていたので、僕たちも描いてみたいというのもありました。例えば、絵本作家の荒井良二さん、大正時代の児童雑誌「コドモノクニ」の挿絵などを手掛けた武井武雄さんがとても好きで。
自分たちが子どもの頃は、絵より物語を追いながら絵本を読んでいたのですが、絵描きになってみると、絵本って15枚の絵画の連なりみたいに見えるんですよね。さらに文章は文学的で詩的で。声に出して読み聞かせるものが多いので、音楽の要素もある。
吉岡 こんな持ち運べる小さなものの中に、しかも1000円ぐらいで買えるものの中に、たくさんの要素が入っていて。絵本ってものすごいものなんじゃないかと思って、どんどんハマっていきました。
――確かに絵本には文化的な要素がたくさん詰まっていますね。お二人が絵本を制作する際、絵、ストーリー、文章など、どこからスタートするのですか?
吉岡 始まり方は本当に作品によってそれぞれなんですよね。ニュースを見ていて、今、このテーマを本にするべきだと思ったものもあれば、こういう絵を描きたいという感じで始まったものもありますし。
阿部 娘と遊んでいて、今この感覚を絵本にできたらいいなと思う時もあるし。
吉岡 思いつき方にセオリーがなさすぎて、毎回本当に「絵本ってどうやって作るんだっけ?」ってなります(笑)。最初に「こういうのはどう?」ってどちらかが言い出して、「だったらこうしたらどう?」「こうしたらどう?」が積み重なっていく感じですね。
阿部 そんな風に積み重ねていくと、いつのまにか出来上がっていくので不思議です。
――制作の始まりにセオリーがないとは驚きです。それではお二人の分担はどのようになっているのでしょうか。
吉岡 私が曲線的な動くもの、命があるもの、自然物を描いて。
阿部 僕が人工的なもの、直線的なものを描いています。
――描きだしはどちらが先ですか。
阿部 それもその時々なんです。逆に言えばどっちが先でも描き始められます。
吉岡 交換日記みたいに、例えば私が1画面目を描いて渡して、その間に2画面目を描いて、みたいな感じです。
阿部 文章の書きだしは吉岡が担当することが多いですね。
吉岡 そうですね。でも文章に関しても交換日記方式で、LINEで送り合っています。
阿部 て、に、を、は だけが違う文章などを延々と送り合っているので、人が見たらすごく気持ちの悪いトーク画面なんですけどね(笑)。
――絵も文章も交換日記方式なのですね。もめることはありますか?
阿部・吉岡 あります、あります!
吉岡 最初の1、2画面目が一番ケンカしますね。その後はだんだんのってきて、作品のイメージがつかめてくるのでスムーズにいくんですけど。
阿部 あと、最後の方も疲れてきて「まだ終わらないのか……」って感じでケンカしたりもあります(笑)。
――お二人はプライベートでもパートナーでいらっしゃいますが、お仕事とプライベートの切り分けはされていますか。
阿部 ないですね。特に絵本なので、子育てそのものが絵本の種なんです。仕事中に洗濯物やその日のご飯の話もしますしね。
吉岡 娘を出産したのが2016年なのですが、熊本地震の余震のさなかに陣痛がきたんです。陣痛の波と、携帯の緊急アラームがリンクして。「地震って地球の胎動っていうから、やっぱり関係あるのかな」「これってお話になりそうやな」なんて話をしながら、分娩台の上でも絵本のことを考えていました。
阿部 立ち合い出産だったので、僕はその内容を携帯にメモしていました。
――分娩台の上でも絵本を構想していたとは! 助産師さんや産婦人科の先生も驚かれたでしょうね。
阿部 先生もみんな僕たちのことを知っているので、生まれた瞬間、先生が「いかたろうが生まれたよ!」って(笑)。
吉岡 そうして完成したのが、「あかんぼっかん」(2018年、偕成社)です。人生そのものを作品にしないと面白いものはできないですね。そんな風に仕事ができていることは大変幸福なことだなと思います。
――ザ・キャビンカンパニーさんは、今年(2024年)11月に発売される三和酒類の安心院(あじむ)ワインのラベルデザインを手掛けられました。受注の経緯や作品に込めた思いなどをお聞かせください。
阿部 一般的に受注仕事の場合、クライアントのイメージを翻訳するのがイラストレーターの仕事だと思うのですが、僕たちにはそれができないんですよね。
吉岡 私たちの作品ってちょっと圧が強すぎるんです。だから私たちの作品を理解してくださった上での「コラボレーション」という形じゃないと実現が難しいんです。
阿部 クライアントさんの思想と僕たちの思想に共通する点がないとうまくいかないのですが、そういう意味で今回の安心院ワインのラベルデザインのご依頼はとても幸福な仕事でした。
吉岡 辰年だから竜をモチーフにしてほしいというオーダーはありましたが、あとはキャビンさんが感じる安心院葡萄酒工房の絵を描いてほしいって言っていただいたんです。
阿部 担当の方がワインについてだけでなく、安心院地域の成り立ちなども教えてくださって。とっても面白いテーマだったので、実際にワイナリーを取材させてもらったんです。その時に見た風景などをデザインに落とし込みました。例えば、安心院葡萄酒工房の昔の看板の文字、展示スペースで見た美しいワイングラス、壁に描かれた鏝絵(こてえ)*2などです。
吉岡 ワイングラスのコレクション、とっても美しかったですね。
阿部 今回のコラボレーションをきっかけに、ワインの歴史や作られた土地などを感じながら飲めるようになり、すごく世界が広がりましたね。*2 鏝絵(こてえ):左官職人が母屋や土蔵の壁などに漆喰(しっくい)を使って描くレリーフ状の絵。
――現在、ザ・キャビンカンパニー大絵本美術展「童堂賛歌(どうどうさんか)」が全国4カ所の公立美術館(平塚市美術館・足利市立美術館・千葉市美術館・大分県立美術館)を巡回中です。活動15年の集大成の展覧会、見どころについて教えてください。
吉岡 私たちがユニットを組んでから15年間分の作品のほとんどをテーマ別に展示しています。ふだんはこの学校に保管してあるのですが、運び出すのに4tトラック6台にもなりました。
阿部 全部で7章に分けているのですが、第1章が「あたまのなかの冒険」というテーマで、「出航」をテーマに描いていた初期の作品を集めています。初の共作「大ウツボ戦闘記」も展示しています。第3章は、段ボールや新聞紙などで造った立体作品のエリアです。
吉岡 4mほどある巨大な作品もあります。
阿部 第4章はコラボレーション作品の展示です。「おかあさんといっしょ」(NHK Eテレ)のキャラクター「しりたガエルのけけちゃま」、あいみょんさんの「傷と悪魔と恋をした!」ツアーパンフレット、株式会社明治さんと共に制作した絵本「ミライチョコレート」(2024年、白泉社)、JR九州さんとの企画「ブンゴ・アート・トレジャー」などです。
そして第7章「童堂賛歌」は最新作の展示です。アクリル絵の具で描いた左右14mもある巨大画なので、体育館で描きました。描いた時に床に垂れた絵の具も含めての作品です。
吉岡 全章を通じてひとつの物語になっているんです。会場で販売している図録には、特典として「詩(うた)絵本 童堂賛歌」を付けています。絵本の最後のページに、展示している絵画の「童堂賛歌」を描いた時に垂れた絵の具の「カケラ」を1つ付けて、それぞれが世界で1つしかない一点物の図録にしています。
阿部 本当に僕たちの活動の集大成ですね。
■ザ・キャビンカンパニー大絵本美術展「童堂賛歌」 会期/会場
2024年 | 7月6日~9月1日 | 平塚市美術館(神奈川) |
---|---|---|
9月14日~11月4日 | 足利市立美術館(栃木) | |
11月16日~2025年1月13日 | 千葉市美術館 | |
2025年 | 2月7日~4月13日 | 大分県立美術館 |
――最後に、これからの活動についての展望があれば教えてください。
吉岡 目標とか展望は思い描かないようにしています。ずっと絵本作家になりたいと思ってやってきたのですが、なったところでまた今度こうしたい、というのがどんどん出てきて、本当にキリがないなと思い始めています。ある意味、自分たちのこの欲にうんざりしています。もちろんいい作品を描きたい、ずっと読み継がれる作品を作りたいという思いはあります。
阿部 いい作品とは何かというのはずっと考えているんですけどね。宮沢賢治の「永遠の未完成これ完成である」という言葉がありますが、そうやってずっと考え続けながら死ぬんじゃないでしょうか。
吉岡 美術館展をしたいという思いはありましたが、それも今回、15年の集大成ということでさせていただきましたし。
阿部 そうだね。今、夢の最中ですね。まさに夢中です。
PROFILE
ザ・キャビンカンパニー
阿部健太朗(あべ・けんたろう、1989年生まれ、大分県由布市出身)と吉岡紗希(よしおか・さき、1988年生まれ、大分県大分市出身)による2人組の絵本作家/美術家。大分県由布市挾間町の石城西部小学校跡に制作拠点をおき、絵本・立体造形・アニメーションなどさまざまな作品を生み出している。これまでに40冊以上の絵本を発表しており、デビュー作「だいおういかのいかたろう」(鈴木出版)で第20回日本絵本賞読者賞、「ゆうやけにとけていく」(小学館)で第71回産経児童出版文化賞 産経新聞社賞、第29回日本絵本賞大賞受賞など、数々の高い評価を得る。ほかにも、「おかあさんといっしょ」(NHK Eテレ)の「しりたガエルのけけちゃま」キャラクターデザインと美術制作、シンガーソングライターあいみょんの「傷と悪魔と恋をした!」ツアーパンフレットの表紙および本文挿絵制作など、多方面で活躍。2024年7月~2025年4月、活動15年の集大成となる美術館展「大絵本美術展 童堂賛歌」が全国巡回中。