株式会社村ネットワーク代表取締役社長應和 春香
――まずは、株式会社村ネットワーク設立の経緯と事業について教えてください。
父が和食店から洋食店まで、入れ替わり立ち替わり総計20店舗ほどの飲食店を経営してきた中で、余剰野菜や規格外野菜の課題を耳にしていました。飲食店側からすると野菜を切ったり下処理をしたりというところで人手がいる、つまり人件費がかかるんですよね。余剰野菜は加工すれば活かせるし、加工された野菜を使えば人件費が節減できるという発想で、父が株式会社村ネットワークを設立したのが2005年です。
当初は会社と飲食店経営を両立していたのですが、新型コロナウイルスがまん延する少し前から料理人不足、働き方改革などの課題があって、会社経営に一本化しました。飲食店の名残として、現在もテイクアウト専門のからあげ弁当屋を経営しています。
設立当初は野菜のカットとペーストでしたが、今から約10年前にパウダー化とドライ化を始めました。とはいえ現在もカット野菜が事業の大半を占めていて、主な取引先は学校給食会さんです。大分県全域の学校に、豊後大野市産のサツマイモ、サトイモ、ピーマンなどをはじめ、近隣市町村で採れる野菜を加工したカット野菜を納品しています。
――やはり地元・豊後大野市の野菜を中心に扱っているのですか。仕入れ先の農家開拓にご苦労はあったのでしょうか。
いえいえ、苦労はなかったと聞いています。ここ、豊後大野市は私の母方の祖母の地元なので、何かの野菜が欲しいとなれば、祖母が、ぱぱっと声かけてくれるんですよ。村のネットワークです。それが社名の由来ですね。
友達に「村ネットワークってなんなん? なんか変わった名前」って言われるんですけど(笑)、このような意味です。変な名前だと思っていたなら「もっと早く言ってよ、説明したのに」って感じです(笑)。
――会社を起業されたのはお父様ですね。お父様はどんな方なのですか。
当時私は20歳ぐらいで、広島市内に住んでいて大学に通っていました。父は昔から周囲の人が驚くようなことばかりする人でしたので、「野菜の加工会社? ふーん」みたいな感じで受け止めていました。私が子どもの頃から、何かというと子ども相手に討論をふっかけてきたり、頭の体操みたいなゲームやイベントをしたり。最近でこそめちゃくちゃ尊敬していますが、子どもの頃は「なんか変な人」と思っていました(笑)。
――應和さんは臨床心理士をされていたそうですが、どのような経緯で会社を継ぐことになったのですか。
実は臨床心理士は今も続けているんですよ。週1、2回、大分市内の病院に勤務しています。高校時代は私、美容師になりたかったんです。それで高校の進路指導の時、「美容師になる」と先生に伝えると、「友達の相談をよく聞いているから心理学の道はどうだ?」と言われたんです。国立文系コースにいたので、まあ、美容師専門学校は大学を卒業してからでも行けるかと思って、大学進学を目指すことにしました。父からすると教育は投資なので、「臨床心理士にならなかったとしても、人の心を扱わない仕事はないから、心理学の道に行くなら学費を出す」と承諾してくれました。
福岡の大学と広島の大学に合格して、私は福岡の大学に行くつもりだったのですが、先生が広島の大学がいいと。そして言われるままに広島の大学に進学することになりました。大学2年までは「大学を辞めて美容師になる」とまだ言っていたんですけど(笑)、「本当に心理学に興味があるかもしれない」と思い始めて、ちょっと迷いもありましたが、結局大学院まで行きました。
――大学院進学当時にも相当悩まれたそうですね。
そうなんです。臨床心理士になるには大学院に行かないといけないのですが、なぜか大学院には行けないと思い込んでいて。周りがみんな就職活動しているのを見て、自分も就活しなくちゃって。でもいろいろ悩んでいる時、友達に「あんた何がしたいの?」って言われたんです。「心理学ができるなら心理学やりたい」と答えたら、「なら大学院行けばよくない?」って。私の人生、節目節目で背中を押してくれる人がいるんですよね。
――そして大学院修了後、広島から大分に戻ってこられて、臨床心理士として働き始めたのですね。
はい。それまで私のやりたいことには1度も反対したことのなかった母が、強く、大分に戻って来なさいと言うので、これは戻ってこないといけないと。大分に戻って働き始めてからは、児童相談所、保健所、スクールカウンセラーなどで子どもの発達障害や虐待を扱ったり、子育て相談などを受けたりしていました。
1歳半検診、3歳児検診の心理相談員もしていたのですが、その時の親御さんの悩みのナンバーワンが「子どもの野菜嫌い」だったんです。「親御さんが過度に心配して食べさせようとすると子どもはそれを敏感に察知して、さらに拒否しちゃいますよ」と理屈をお伝えしたいのですが、それを上回る心配が、親御さんにはあるんですよね。
野菜の原形をなくしてハンバーグなどに混ぜ込んで食べさせる、など、そういう親御さんの話を聞いているうちに「確かに野菜の粉はいいかもな」と思い始めました。というのも当時、父が「次は粉だ、野菜の粉だ」と連呼していたんですよ(笑)。「粉? パウダー? なにそれ」みたいに思っていたんですけどね。父はいつも世間より少し早いんです。
――それでは野菜の粉がきっかけで家業に入られたのでしょうか。
元々、家業を継ぐつもりは全くなかったんです。兄が会社に入っていましたし。でも兄は独立して自分の会社を持つようになり、夫が父の会社に入りました。夫はいずれ自営業をするつもりでいたのですが、期間限定の修業先ということで。そして夫が野菜のパウダー加工の研究をし始めたんです。
夫がまず着手したのがほうれん草でした。野菜って乾燥工程でなかなか水分が飛ばないんですよ。うちは水冷式の石臼を使って臼びきをするのですが、少しでも水分が残っていると固まって粉として出てこない。さらに、ほうれん草の葉酸を残しつつ、キレイな緑色を出すのにとても苦労しました。温度管理と乾燥をひたすら繰り返して、第1号のパウダー野菜、「ほうれん草パウダー」が完成しました。というところで夫は独立してしまったんです。「あと、頼むわ」って。
――それでは急遽、村ネットワークで働くことになったのですね。
当時私は産後数カ月でした。3年間は子育てに専念して、その後はスクールカウンセラーとして復帰するという計画を立てていたんですけれどね。離乳食が終わった時期から保育園に預けて村ネットワークに入社しました。
その当時、会社ではパウダー野菜の開発と並行して、アルファ化米粉*1も開発していたので、離乳食にはこれが役立ちました。そのお米の粉にお湯を入れるだけで、通常なら手間のかかる10倍がゆが、調理の下準備なしに出来上がるんです。*1 アルファ化米粉:米を炊飯して柔らかくなった(糊化)状態をアルファ化状態という。これを急速乾燥させて製粉したものがアルファ化米粉。水に溶くだけで「おかゆ」の状態になり、すぐに食べられる。
入社してすぐは事務をしていました。そして子どもが2歳になった頃から、もうひとりの若手社員を相方にして、一緒にパウダー野菜の研究を夫から引き継いで始めたんです。夫が成功したほうれん草はすぐにできたのですが、にんじんとかぼちゃは甘味を残すのに苦労しました。ひとたび糖分と水分が結合してしまうと、どれだけ乾燥させても水分が飛んでいかなくなるので、甘味を引き出しながら乾燥して、粉末にするってとても矛盾するんです。
中でも一番大変だったのはごぼうですね。ごぼうは繊維が多くてなかなかパウダーにならなくて。私はあきらめかけたのですが、相方は全然あきらめなくて、とうとうパウダー化に成功しました。そうこうするうちに、切り方や温度管理など、コツがつかめてきて他の野菜でも汎用できるようになりました。
この時期、子どもには試作品を食べさせていました。味にこだわって開発したので、子どももパクパク食べてくれました。実際に赤ちゃんに初めて食べさせるときは、アレルギーがないか1種類ずつパウダー野菜を溶かして食べさせて、大丈夫なことが確認できれば、お米の粉とパウダー野菜を混ぜてお湯を入れるだけで野菜がゆが簡単にできるんです。
現在、パウダー野菜「VEGEMARI(ベジマリ)」として、ほうれん草、にんじん、かぼちゃ、ごぼう、ピーマン、ビーツ、れんこんといった7種類の野菜を商品化しています。
そんな時、友人から「子どもが離乳食を食べない」という相談を受け、「まだ試作品だけど」と米粉とパウダー野菜を渡したところ、「食べてくれた!」と。これには手ごたえを感じました。また、離乳食のほかにも、嚥下(えんげ)、あるいは飲み込むことが難しい高齢者の方、チューブで直接胃に栄養剤を入れる(胃ろう)方のご家族などからも喜んでいただいています。胃ろうの方の場合、栄養は十分足りているのですが、「野菜を食べさせているという実感が欲しい」とおっしゃって、パウダー野菜をペースト状にして、注入してくださっているそうです。
――そのようなお客様の声を聞くとうれしいですよね。そうして元々継ぐつもりのなかった家業に入っていかれたのですね。
それでも腹をくくるまでには7年かかりました。家業とはいえお給料をもらっているからには責任を果たさないといけないと思い、商品開発にもPR活動にも全力で取り組んで、会社を繁栄させれば、継いでくれる人が見つかるだろうと思っていたんです。
というのも、臨床心理士と物を売るという行動は、真逆のことのようにずっと感じていたからです。ある時、大分県アトツギ新事業創出プログラム「GUSH!(ガッシュ)」*2に参加した時の講師の方が、その方も後継ぎの方だったのですが、「ビジネスって何だと思いますか?」と質問したんです。みなさん「お金儲け」みたいなことを言っていて、私もそうだと思っていたのですが、講師の方は「誰に何の価値を与えられるか、誰を幸せにできるかがビジネスだ」とおっしゃったんです。
それを聞いて、目からうろこと言いますか、「ビジネスはお金儲けではない。誰に何の価値を与えられるかだと。ということは、その手段がカウンセリングでも野菜でも同じだ」と思ったんです。それでようやく腹をくくりました。*2 大分県アトツギ新事業創出プログラム「GUSH!(ガッシュ)」:大分県内の若手の事業継承者を対象に行われる約7カ月間の新事業開発支援プログラム。公益財団法人大分県産業創造機構から委託を受けた一般社団法人ベンチャー型事業承継が運営する。
――そうして2023年12月、村ネットワークの代表取締役社長に就任されました。心境の変化はありましたか。
そうですね、いろんなことを背負いましたねー(笑)。就任前からお金のことから従業員のこと、現場のことなど既にほぼ私がやっていたので、単に呼び名が変わるだけだと思っていたのですが、全然違うんです。元々責任感は強い方だと思っていましたが、代表取締役社長という役職名に乗っている責任がさらにあるんだなと気づきました。
スタッフに対しては優しい目と厳しい目、両方を持って向き合わなくてはいけないと思いますし、取引先の方と対等な立場でいるためには主張するところは主張し、受け入れるところは受け入れることが必要だ、とか。具体的には言えないですが、本当に「背負った」という感覚ですね。
――お子さんはママが社長になったことについてどのような反応でしたか。
就任以前に会社の厳しい雰囲気を家に持ち帰ってしまった時があり、子どもはそれを察して「ママ、社長にならんで」って言っていたのですが、いざなってみると「おめでとう!」と拍手してくれました。
――それでは今後の事業展開について教えてください。
パウダー野菜を野菜のスタンダードにする。それを現実化させるのが私たちの会社の目標です。「パウダー野菜が当たり前になったね」と言ってもらうためにまず必要なことは、スーパーの売場が変わることじゃないかと思っています。パウダー野菜がスタンダードになった未来のスーパーがどんな状態か、その絵を今イラストレーターさんに描いてもらっているところです。
決して生野菜を否定するわけでなく、便利なパウダー野菜の普及と同時に、生野菜でしか摂れない栄養や食感があると気づいてもらうことで、野菜全体の価値が高まると考えています。
農家さんって本当に大変じゃないですか。まとまった休みも取りにくいし、天候に左右されてひとたび台風がきたら一気に吹き飛んでしまいますし。大変な思いで作った野菜も規格外であれば「これただでもらってくれん?」みたいなことをおっしゃるんですよ。
丹精込めて作った野菜を無料でいただくなんて絶対ダメ。パウダー野菜がスタンダードになれば、規格外の野菜も販売できるようになり、もっと計画的に安定的に生産できるようになりますし、生野菜用の野菜は小規模でも今より高値で卸せるようになると思うんです。
消費者からすると、「毎日野菜を350g摂取しましょう」と推奨されても、なかなか難しいですよね。日本人が平均して足りないと言われている不足分の70gを、パウダーだとほんの1さじ料理にかけるだけで摂取できるなんて、とても手軽じゃないですか。パウダー野菜は原料の約10分の1に凝縮されているので、1gあたりの栄養で比べると10倍になる。加工することで飛んでしまう栄養素があったとしても、それを補って余りある栄養が摂れるよう、熱に弱い栄養素、食物繊維の裁断などに配慮して生産しています。
そしてパウダー野菜を使うことによって生まれた時間を、考える時間に充ててほしいと思っています。「今日はにんじんからこの栄養素を摂ろう」「どういうメニューを家族に食べさせようか」。そんなことを考える時間です。下処理の時間を省くことによって、余裕と愛情を持ってアレンジを考えることができるのではないかと思っています。
世の中には「考えることを支える」サービスやコンサルティングがたくさんありますよね。うちも今、「考えるプロジェクト」を立ち上げようとしているところです。みんながもっと考える社会になれば、人と比べることより、今日、自分がどう生きるかということにフォーカスが当たり、自分や大切な人のために時間を有効活用できる、そんな社会を目指しています。それは臨床心理士としての思いでもあります。
もうひとつは、これから人口が減少する日本だけでは野菜の消費量も右肩下がりです。でも、体積がぐっと小さくなり、消費期限が2年もあるパウダー野菜であれば、海外への輸出も増やしていけると考えています。
――パウダー野菜を通して社会の在り方を変えていこうとしているのですね。社長業に臨床心理士としての活動、母親業ととてもお忙しい毎日をお過ごしと思いますが、オフの時間は何をして過ごしていますか。
完全オフ日はないですが、子どもと一緒にいる時が一番自分らしいと思います。子どもと一緒に遊ぶ時は同じ目線に立っています。「ママは今その遊びしたくない」と断ることもあるくらいで(笑)。仕事で疲れたら子どもを抱っこしてエネルギー補給をしています。
――最後に大分県豊後大野市の魅力を教えてください。
豊後大野は「大分の野菜畑」と言われるぐらい、とにかく野菜が美味しいです。それにあまり知られていませんが、お米もとても美味しいんですよ。美味しいお水と豊かな土、寒暖差の大きい気候ゆえの産物ですね。でもPRがあまり上手じゃなくて(笑)。都会の方は来てみて食べてみて、その美味しさにびっくりされています。広島の義母も、とにかく野菜が美味しいし、お米は毎年送ってほしいって。そして自然の豊かさと食べ物の美味しさにひかれて、義母はついに豊後大野に移住することを決めたんです。これで1人、人口が増えます(笑)。
最近では豊後大野市は「サウナのまち」宣言もしているんですよ。豊後大野市は、「おんせん県おおいた」にありながら温泉がないため、新たな魅力として「サウナ」を活用しているんです。「大自然の中でととのう」ということで、山の中のテントサウナと澄んだ川の水風呂を楽しんでいただいています。私たち家族は山の中の古民家をリノベーションして暮らしているのですが、子どもは走り回って牛を見に行ったり、うぐいすの声に耳を澄ましたり。子育てがしやすい環境だなと実感しています。
PROFILE
應和春香(おうわ・はるか)
大分県豊後大野市出身。地元の高校を卒業後、広島文教大学から同大学院に進み、臨床心理士の資格を取得。大分市内で児童分野の臨床心理士として活動を始める。結婚、そして出産後数カ月で家業である株式会社村ネットワークに入り、パウダー野菜の研究開発を行う。2023年12月代表取締役社長に就任。会社の近くで見つけた空き家だった古民家を夫と共にリノベーションして家族と暮らす。薪風呂に入る時間と子どもと遊ぶ時間が癒し。