パン工房「HIBINO」店主杉田 久美子
――大分県ご出身の杉田さんは、北海道・富良野のアウトドア系ツアー会社でアウトドアクッキングを担当され、その後パン職人になったそうですね。パン作りを始められるまでの経緯を教えてください。
私は別府市の出身ですが、高校卒業後はとにかく都会に出たくて。東京でも大阪でもどこでもよかったのですが、兄がいた名古屋なら、と親の許可が出たので、名古屋市内に出て、服や靴の販売をしていました。その頃はまだ食べ物に関心があったわけではないんです。名古屋には3年弱いましたが、私、フラフラするクセがありまして(笑)。全国いろんなところに行っていたのですが、とにかく「若いうちに北海道に行きたい」という一心で北海道に行きました。
北海道では知床や利尻などを転々としながらリゾートバイトをしていたんです。その中のひとつが富良野のアウトドア系ツアー会社でした。その会社はアウトドアツアーや、食べ物に関連するイベントなどをインドアでやっていて「面白そうだな」と思いました。当初は半年間だけのシーズン雇用だったのですが、すっかりハマってしまって。熱気球を上げたり、トレッキングやラフティングのインストラクターのアシスタントをしたりしていたのですが、その中のひとつに「アウトドアクッキング」があったんです。
北海道に来るまでは自然とかけ離れたところで生活していたので、自然を相手に仕事をするということが、すごく楽しかったんですよ。仲間にも面白い人がたくさんいましたしね。その後、またフラフラと沖縄に行ったりするのですが(笑)、やはり、富良野での仕事が面白かったので、シーズン雇用ではなく正社員として入社しました。
――北海道に行かれるまでは、特段、食に興味を持たれていたわけではないのですね。
北海道はもちろん、沖縄を経て、「食べることは自然と関わっている。自分も自然の一部だ」ということが分かった瞬間、食べること、作ることがすごく身近に感じられて、一気に興味がわきました。当時はまだ「アウトドアクッキング」というジャンルが今ほど確立されてはいなかったのですが、「外で料理する」ことの需要を感じていました。とても理解のある社長だったので、「アウトドアクッキングツアー」をひとつ作ってもらい、私が担当することになりました。
――「アウトドアクッキング」ではどのような料理をされていたのですか?
主にはダッチオーブンを使った料理ですね。外で火をおこすところから始めます。ダッチオーブンって、煮込み料理からお菓子まで、ホントになんでも作れるんですよ。ダッチオーブンの下に炭を置いて普通に肉を焼くのは誰でもできるからか、それよりも上に炭を置いてパンを焼いたりお菓子を作ったりする方が、お客様には好評でした。
――ということは、ダッチオーブンで焼いたパンが、最初のパン作りですか?
そういうことになりますね(笑)。
――パン作りを含むアウトドアクッキングの知識や技術はどこで学ばれたのでしょうか。
いわゆる独学で、知識や技術はもっぱら本からです。だから失敗ばかりするんですよ(笑)。それでもみんなで学びながらみんなでやる、という会社だったので、とにかく夢中でやっていました。会社の人が持っている森もあるし、農家さんとの関わりもいろいろとあって。そうこうしているうちに天然酵母に行き着くわけです。
天然酵母も果物をはじめ、とにかくいろんなものから起こしまくって、たくさん失敗しました(笑)。そうやって試行錯誤で作ってきたパンを美味しいと言ってもらえるようになったんです。そうしたら、私自身もどんどんパン作りだけをやりたい気持ちが強くなってしまって。
元々、とても自由にやらせてもらっていたのですが、とはいえサラリーマンなので、パンだけ作っているわけにもいかず、独立を考えるようになったんです。それで会社に話をしたら、なんと会社側がパン屋さんを用意してくれることになりまして。
――会社がパン店を用意してくれたというのはラッキーですね。ある意味、理想的な独立のように思います。
ですよね。会社の近くに賃貸物件があって、そこを借りるからって。そこでカフェ併設のパン屋さんの店長を3年ほどやらせていただきました。とても恵まれた環境だったと思うのですが、それでもやっぱり、と思って、31歳で退職しました。そして戻るならやはり地元・大分だ、と。もちろんパン作りは続けるつもりで、2009年に別府に帰ってきたんです。
――10年以上ぶりに大分県別府市に戻ってこられて、すぐにパン店を開業されたのでしょうか。
いえ、別府はもちろん地元だから戻ってきたのですが、竹籠(たけかご)を作りたいから、という理由もあったんです。別府は竹細工が有名で、もちろんそのことは昔から知っていました。まずは、別府市内に部屋を借りて、パンを作る許可を取得しました。そして別府市竹細工伝統産業会館で竹細工を学び始めたんです。通いでトータル5年間ですね。
――5年間も竹細工を学ばれたのですね! それは竹細工職人を志されたということでしょうか。
いえいえ、そんなつもりはまったくなくて(笑)。竹細工の勉強をしながら、自宅でパンを焼き、イベントに出店していました。「HIBINO」という屋号は別府に帰ってきてからすぐに付けました。大分は「おおいた Organic Market」や「アースデイおおいた」といった期間限定の大きなイベントのほかにも、小規模のイベントもたくさんあって。
特にコロナ禍の前まではたくさんのイベント主催者からお声がけいただきました。「けっこうイベントだけで食べていけるもんだな」って(笑)。とはいえやはり常設店も必要だなと思うようになり、別府時代の5年間のうち最後の2年間は4坪ほどの小さな店舗を構えて営業していました。
――別府市から現在の豊後高田市に移ってこられたのはなぜですか?
やっぱり富良野の自然豊かな環境が最高だなと思っていたんですよね。ただパンを焼いて売るだけではなく、富良野時代にやっていたクラフト系のワークショップや、子どもたちと一緒にやるアウトドアクッキングができるような、自然豊かな場所に移りたいと思うようになりました。
そこで廃校や廃園になった公共不動産を借り主とマッチングさせるお仕事をされている方にお願いしたんです。場所は大分県内ならどこでもいいとお伝えしました。そして、今のこの豊後高田市にある元幼稚園の建物を見つけてもらいました。目の前に畑があって、サイズ感もちょうどよくて。即決で「行きます」って(笑)。それに豊後高田市は移住者にとても優しくて、こちらに移ってきて8年になりますが、いまだに応援してもらっています。
――別府市内の4坪の店舗から豊後高田市の自然豊かな元幼稚園の店舗へ。移転はスムーズにいきましたか。
そうですね。2016年2月末に別府の店舗を閉めてからすぐにこっちで営業できるように、リノベーションは地元の大工さんにお願いして冬の間にやってもらい、気候の良い4月にオープンすることができました。別府の店舗より大きめのガスオーブンを入れられる厨房、ワークショップができる小上がりのスペース、倉庫も改装してアウトドアクッキングができる石窯も造ってもらいました。
幼稚園の建物は廃園になってからもしばらくの間、児童クラブとして使われていて、比較的きれいな状態だったので、「ここをこうしたい」というイメージも湧きやすかったですね。ちなみに私の居住スペースは元職員室です。
――豊後高田市に移られてからは大分県産小麦と天然酵母にこだわったパンを焼かれているそうですね。
はい。別府にいたころはまだ熊本県産小麦なども使っていたのですが、いずれは大分県産小麦100%でパン作りをしたいと思っていました。そんな折、「おおいた Organic Market」で福岡にある製粉会社の方と知り合ったんです。話をしてみると、各地域の粉を小ロットでも作ってくれるというので、大分県北エリアの「ミナミノカオリ」を仕入れることにしたんです。
大分県産小麦でパン用といえば、代表的なのがミナミノカオリなのですが、美味しいですよ。強力粉というより中力粉に近い感じですね。北海道産小麦や外国産小麦に比べると、膨らみはあまりよくはないですが、味は美味しいです。ちなみにパンケーキには大分県中津市の耶馬渓(やばけい)の農家さんから仕入れている「チクゴイズミ」を使っています。チクゴイズミはモチモチとした食感が特徴で、大分県の郷土料理・やせうま*1にも使われています。*1 やせうま:練った小麦粉を平たく伸ばしてゆでたものに、きなこや砂糖をまぶして、おやつに食べる大分の郷土料理。
パン生地を発酵させ膨らませるには酵母菌が必要ですが、パン酵母は大きく分けて、イーストと天然酵母があります。イーストは単一酵母で味にクセがなく汎用性も高いのですが、私は自家製の天然酵母を使っています。天然酵母は果物や穀物などに付着している酵母菌を培養して作ります。
瓶の中に果物や穀物、浄水と砂糖などの糖分を入れて、暖かい場所に保管しておきます。私が使っているのは、安定のレーズンとお米と麹から起こす酒種。そして市販のホシノ天然酵母も使っています。レーズン酵母は液だけを使用しているので、さっぱりとクセのない味わい、酒種は酒まんじゅうのような独特の甘みが特徴です。
――天然酵母を作るのは作業が大変なイメージがありますが、コツはありますか。
コツはよく見ることです。色とか匂いとか、少しずつ変化していくので、よく観察するしかないですね。それぞれの天然酵母で「今」というタイミングがあるのですが、その「今」を逃さずに作ると“かっこいい”パンができるんですよ。「今」が分かるようになるまでに、先ほども言いましたが、失敗しつつひたすら試行錯誤しました。
――発酵のタイミングを逃さないように観察を続ける天然酵母作りは酒づくりと通じるものがありますね。カフェの営業とパンの販売は金・土・日の3日間とのことですが、平日はどのような活動をされていますか。
パンの生地の発酵には時間がかかるので、少なくとも焼く日の前日から準備をしています。発酵の準備のほか平日には、別府で学んだ竹細工のほかに、大分県国東(くにさき)地方だけで栽培されている七島藺(しちとうい)というカヤツリグサ科の植物を使った鍋敷き作りや、目の前の畑で育てたライ麦の藁(わら)を使ったヒンメリ*2作りといった、モノづくりワークシショップを開催しています。*2 ヒンメリ:藁に糸を通して多面体を構成し、それらを繋ぎ合わせて吊るす、北欧の伝統的装飾品。「光のモビール」と呼ばれることもある。
このワークショップは、お昼ご飯付きで10時頃から始めて、終わりは15時半頃なので、けっこうな長時間ですが、県外からもたくさんの方が来てくださっています。さらに畑作業。モノづくりに使うライ麦やブルーベリーなどの果樹を栽培しています。自分で小麦を栽培したこともあったのですが、収穫してから粉にするまでがなかなか大変で、今は断念しています。
また、豊後高田市グリーンツーリズム推進協議会と契約していて、中高生の宿泊体験を受け入れています。学校単位の宿泊体験を地域で受け入れていて、うち以外にも地元農家さんなどが3~4人ずつを受け入れているんですよ。ちょうど昨日まで高校生が4人泊りに来ていたんですよ。畑作業やモノづくり、パン作りなどを体験してもらいました。
――パン作りと販売、カフェ営業のほかに、畑作業、ワークショップや民泊まで! 毎日お忙しいですね。
そうなんですよ。パンの販売が週3日間なので平日は暇だと思われがちですが(笑)、忙しいんです。生活の中にいわゆるオンとオフの切り替えはなくて、ずっと何かやってる感じですね。でもこの辺りの移住者はみんなそんな感じだと思いますよ。
豊後高田のこの辺りには、移住者の開いたカフェやコーヒーショップ、レストランが増えてきていて、平日に畑作業をし、週末に自家製の野菜やハーブなどを使った物を提供するというスタイルですね。実はうちが豊後高田市への移住者の中で「1丁目1番地」と言われてるんです(笑)。ひとりだった頃はさみしくもありましたが、移住仲間が増えて、みな個性的で面白い人ばかりなので、心強いし、楽しいです。地元の方も相変わらず温かく優しく接してくださっています。
――お忙しい日々の中、お酒はたしなまれますか。
はい、飲みます、毎日。ビールと麦焼酎。麦焼酎は近所の農家さんが栽培したかぼすを搾って炭酸で割るのがお気に入りですね。アテは自分が作ったパンとお野菜があれば大満足です。
――2012年に北海道から地元・別府市に戻られ、2016年に豊後高田市に移住されて8年。例えば北海道時代のお友達に紹介するとしたら、おすすめスポットはどこですか。
別府はやっぱり温泉が魅力ですよね。北海道時代の友人が来た時にもやはり温泉は外せないです。豊後高田からすぐの国東半島も面白いです。歴史あるお寺がたくさんあって、富貴寺(ふきじ)も両子寺(ふたごじ)も素晴らしいですよ。あと、変な道がたくさんあるんですよ(笑)。どこに続くのか分からない曲がりくねった細い道とか。そういう道を車で行くのも楽しいです。
――最後に杉田さんの今後の展望をお聞かせください。
生活スタイルでいうと今がベストだと思っています。自分ひとりでできることの範囲が分かってきたと言いますか。今のスタイルを守りつつも、やることの中身は変えていきたいですね。これまでは広い意味で自分自身のモノづくりに重きを置いてきましたが、今後はもし私に教えられることがあるなら、「教える」ということもやっていきたいなと思っています。
パン作り以外にも自然の中で生きることの豊かさとか。自然栽培や有機栽培のよさ、自分の作ったものを食べる幸福感などを肩肘張らずにお伝えできたらいいですね。それから民泊や宿泊体験の方ももっとやっていきたいと思っています。
PROFILE
杉田久美子(すぎた・くみこ)
大分県別府市出身。高校卒業後、名古屋市内で服飾販売業に就いた後、北海道へ移住。アウトドア系ツアー会社で担当した、ダッチオーブンを使ったアウトドアクッキングの面白さに目覚め、その一環で独学でパン作りを始める。富良野のパン店店長を3年間務めた後、2009年に別府市へUターン。自宅でパンを作りイベント会場に出店する取り組みと併行して、別府市竹細工伝統産業会館で5年間竹細工を学ぶ。2014年、別府市内に約4坪の店舗で、パン工房「HIBINO」をオープンして人気を博す。その後、自然豊かな環境を求めて2016年に豊後高田市へ移住。廃幼稚園をリノベーションした店舗でパン製造販売とカフェを開始。さらにパン作りにとどまらず体験教室や民泊など幅広い活動を行い、豊後高田市移住者の呼び水的存在にもなっている。