茶師川谷 哲也
――まずは川谷園のお茶の特徴について教えてください。
お茶の栽培には日中の寒暖差がある土地が向いています。でもあまりに寒いと霜が降りてしまうので、耶馬渓の山間地で標高430m、高いところで550mのところにあるうちの茶園はギリギリの場所だと思います。でもこのような厳しい栽培環境で栽培したお茶は味が全然違います。まろやかで深みがあり、香り高いという特徴があります。
――川谷園のお茶にはどのような種類がありますか。
(実際に試飲実演をしながら)まずはオーソドックスな「深蒸し茶」を飲んでみてください。いいお茶といえば、甘さを感じるというイメージがあるかもしれませんが、うちは甘いだけではなく、ちゃんと緑茶寄りのキリッとした渋みを残して仕上げています。
先日、中津市役所で「なかつ6次産業推奨品」試飲試食会がありました。このように、まずは湯呑を温め、少し冷ましたお湯で一般的な緑茶を入れさせてもらいました。みなさん「(普段飲んでいるお茶と)全然違う」っておっしゃるんですよね。でも僕はそう言われてうれしいわけではありません。なぜなら、みなさんが入れてもこの味が出るように仕上げていますので、普段から構えずに飲んでいただきたいと思います。
そしてこれが「手もみ茶」です。1枚の茶葉を針のように細長く仕上げています。普通の茶葉より濃い色をしているのは栽培方法によるものです。肥料や覆いをする日にちの調整をして色を乗せていき、きちんと色が乗った時に摘んでいます。ですが、お湯を注ぐと、とても薄い色をしています。
一般的な緑茶は製造工程でお茶の葉が細かくなったものが浮いているので緑色になるのですが、手もみ茶の場合、お茶の葉は傷つけず、もむことで細胞を壊して味だけが出るようにしています。今回のように時間をかけてじっくり入れると少し色が出ますが、乳白色が一番よいと言われています。
入れ終わると針のように細長かった葉が一枚の葉に戻っています。入れ方もいろいろで、特殊な急須で1、2滴ずつ8回ほどに分けて味の変化を楽しむ方法、今回僕がやったようにしっかり入れて味がじゅわっと出たものを飲んでもらう方法などがあります。
次に「ほうじ茶」。一般的には秋冬(しゅうとう)番茶*2や三番茶を使用することが多いのですが、うちは一番茶で作るので黄色が残っていて、香りも強いですね。もちろん味もしっかり出ます。冷やして飲んでも、チャイやカフェラテのようにホットミルクと合わせても美味しいです。*2 秋冬番茶:秋から冬に移り変わる時期に摘み取られた新芽で作るお茶のこと。お茶は生産時期が早いものから順に、一番茶(摘み取り:4~5月)、二番茶(6月)、三番茶(7~8月)、四番茶(9~10月)と呼ばれる。三番茶の時期に摘み取らず、三番茶と四番茶を秋から冬に変わる9~10月にまとめて摘み取ったお茶を「秋冬(しゅうとう)番茶」として三番茶と区別する。
そして「和紅茶」。うちの和紅茶は緑茶の高級品種「さえみどり」を使っています。本来、緑茶には緑茶品種、紅茶には紅茶品種、ウーロン茶にはウーロン茶品種とそれぞれの品種があるのですが、うちは緑茶品種で作った紅茶なので「和紅茶」としています。一般的な紅茶とは別モノと思ってもらった方がいいですね。紅茶独特の渋みはありませんが、続けて飲んでいくと甘味が残るので砂糖なしでも美味しいです。大分ならではのかぼすを少し入れてもいいですね。
あと、緑茶とほうじ茶は粉末のスティックタイプも作っています。粉末にすると味も香りもぼけてしまうのですが、うちはしっかり味が出る仕上げにしていますので、地元のシフォンケーキ屋さんや、東京都内のジェラート屋さんでも気に入って使ってもらっています。
――多彩なラインナップですね。これらの商品は先代から受け継いだものですか。
商品に関しては父の代から僕が引き継いでから、パッケージを工夫したりしながら作ったものが多いです。川谷園は今から50年ほど前の父の時代に、国の事業でお茶を栽培することになったのが始まりです。それまではきゅうりやなすびの栽培、祖父の代にはしいたけや炭焼きをしていました。
当時は20人ほどで茶園を共同経営し、「耶馬渓製茶」という商標登録もしたのですが、父は「お茶のことを一番に考えたい。自分が摘みたいと思う時に摘みたい」という思いで独立しました。昔からのお茶の産地と比べて、大分のお茶となるとネームバリューが弱く、市場開拓は大変だったと聞きました。
なんとか生き残れたのは、地元の葬儀関係の香典返し品に食い込むことができたからです。ちなみに「香典返しにお茶」というのは、静岡のあるお茶問屋さんが「お茶を飲んで悲しみも飲み干しましょう」と言ったことが始まりだそうです。
僕が就農したのが今から25年前、当時はお茶バブルで市場価格も高かったですし、1日中香典返し用のセットを詰めても間に合わない、という時期もありました。ところが、コロナ禍の前から少しずつ葬祭関係が簡略化、そして家族葬、密葬という流れが出てきて、それに伴い香典返しの需要も激減していきました。それにコロナ禍が追い打ちをかけました。
2年前に父親が亡くなり、苦しい時期もありました。そんな中、地元の百貨店などで催事出店を始めたことで販路を拡大することができました。催事販売って「人 to 人」じゃないですか。直接お客様の顔を見て販売し、その後もDMなどでつながることで、「次はいつ?」とわざわざ電話をくれるお客様もできたほどです。
催事出店を10年前から始めていたら、コロナ禍も怖くなかったなと今となっては思うんですけどね。今は改めてお茶事業に手を広げてくれた父親に感謝しています。「お茶ってマグロと一緒やな」ってよく言うんですけど、本当に捨てるところがないんですよ。それにお茶は生鮮食品と違って、1年中勝負できますしね。飲むだけのお茶ならそこで終わりですが、粉末にすることで裾野も広がり、まだまだ手堅い産業ではあると思っています。
――催事出店でコロナ禍による危機を乗り越えられたのですね。25年前に就農されたとのことですが、元々茶園を継ぐおつもりだったのですか。
いえ、まったく(笑)。大学に行って普通の大人になるつもりでした(笑)。子どもの頃は大工になりたいとかマッサージ師になりたいとか、職人的な仕事にあこがれはありましたけどね。高校時代はバレーボール部だったのですが、僕らの学校には相撲部がなくて、寄せ集めで出た相撲大会の県大会で決勝まで行ってしまって。そこで垣添(かきぞえ)*3にあたって負けたんですけどね。*3 垣添:大分県宇佐市出身の元力士。最高位は東小結。本名は垣添徹。現在、雷(いかずち)親方。
その後、先生が3年の冬休み明け1月にもかかわらず「今からでも体育大学の指定校推薦とるぞ」って。でも相撲取りにはなりたくなくて断りました。そこで家族会議が行われ、初めて父からうちの経営について話を聞きました。そして「お前がやるんだったら茶畑の面積を3倍に増やす。米ももっと増やす」と言われ、就農を決心したんです。
そして静岡県島田市にある野菜茶業研究所(現・農研機構 果樹茶業研究部門「金谷茶業研究拠点」)の研修生として2年間学ぶことにしました。茶業の後継者や指導者を育成する国立の教育研究機関です。同学年には20人の研修生がいましたが、僕も含めてその中の4人が全国のいろいろな品評会で最高賞を受賞しているんですよ。「そんな学年はなかなかない」って今でも言われています。
――茶業試験場の研修生時代に「手もみ茶」に出合ったのですね。
はい、そうなんです。同期の中に農林水産大臣賞を8回受賞して、全国手もみ茶振興会最高位の「永世茶聖」を日本で初めて授与された、埼玉県狭山市の中島毅(なかじま・つよし)という男がいました。彼は研修生時代に、手もみ茶の品評会では8時間かける手もみを、競技会用に5時間に短縮して午前と午後の1日2回、週に3回もやるようなタフなヤツでして。
彼と同じ業務科を専攻していたものですから、僕もやらざるを得なくて(笑)。おかげで目標だった「卒業するまでに入賞(手もみ茶競技会で3位)」を叶えることができたんですけどね。今でも彼が「1番」でいてくれることで安心しますし、自分も頑張ることができています。
――まさに運命の出会いですね。
全国手もみ茶振興会では認定試験、競技会、品評会を行っていますが、品評会のもみ方はとにかくきれいに仕上げることが第一で約8時間かけます。認定試験(ペーパーテストもあり)と競技会では5時間と時間が決められているので、3時間をどう詰めるかですね。もちろんもみ方を雑にしたり工程を飛ばしたりすることはできません。
19歳で手もみを始めた頃はとにかく力で押していくもみ方でしたが、最近では少し抜くところも分かってきました。「ここは頭の中で音楽を流しながらリズムで動けるな」とか、仕上げもみになったらある種ゾーンに入って、「本当に楽しいな」みたいな感じですね。
だから最初に品評会で無我夢中で1等1席(農林水産大臣賞)を取った時より、数年後に「これはいけるな」という実感があって1等3席に入った時の方がうれしかったです。狙って取れた、と言いますか。80歳を過ぎても現役で入賞している先輩方も多くいるので、僕もあと40年、先輩方のように足腰に負担がかからないもみ方のコツをつかんでいきたいです。
今僕は福岡県八女(やめ)市の支部に所属していて、後進の指導をするように言われているので、現在は「教師」の認定を受けていますが、近々認定試験で「師範」を取ろうと精進しています。
――手もみ茶の技術はその他のお茶を製造する上でも活かされるのでしょうか。
そうですね。茶葉の表面の湿りのことを「しとり」と言いますが、お茶の機械に手を入れて「このしとりだともう少し水分が出るな」とか、しとり具合によって「手もみのあのもみ方の段階だな」というのが分かるんです。
お茶の生葉って1日どころか1時間違っても違う葉っぱになりますし、同じ茶畑でも場所によって状態が異なります。それらをある程度均一にしないと仕上げが難しくなるのですが、感覚的に「あれとあれは同じ箱に入れていい」というようなことが分かるんです。「やっぱりなんでも基本は覚えとかんといけんね」ということですね。
――お茶を作る上で「発酵」はどのように関わってくるのでしょうか。
緑茶は絶対に発酵させません。萎凋(いちょう)といって大量の温風を送って水分を飛ばし、独特の香りとうまみを引き出す方法もありますが、これは発酵ではありません。そして、萎凋を間違えるとお茶としての欠点にもなります。逆に紅茶は完全発酵。紅茶は好気性発酵といい、空気に触れさせながら発酵させます。一般的には2、3時間で発酵させますが、僕の作る和紅茶の場合は、ムラをなくすために6時間ぐらい置いて完全に発酵させた状態で乾燥させています。完全に発酵した葉の中に手を入れるとホッカホカですよ。
当初は気温や湿度などを細かくノートにつけていたのですが、そうすると迷いが多くなるので、うまくいった時の風量や回転数などのデータだけノートに記すようにしています。
――それでは川谷さんの今後の目標について教えてください。
これからも新しいことにどんどん挑戦していきたいですね。今までもお客様に手に取ってもらいやすいパッケージデザインの工夫や、粉末にする工夫、催事出店などいろいろチャレンジをしてきました。農作業ってどうしても単調になりがちですが、そんな時こそ新商品を考えていると楽しいです。作るだけでは苦しいことも多いですが、その先にお客様の顔が見えるとやっぱり頑張れるんですよね。
――川谷さんはふだん、どのようにお酒を飲まれますか。
家にいる時は夕食後も作業があるので飲みません。その代わり外で飲む時は夜中まで飲みますね(笑)。飲みに行く時はうちの緑茶とほうじ茶の粉末スティックを持っていって、焼酎水割り1杯につき1本入れています。お茶のサポニンという成分が肝臓の働きを助けてくれるので、二日酔いしにくくなりましたね。一緒に飲んでいる人にも「それちょうだい」ってよく言われますよ(笑)。そうそう、いいちこの緑茶割りを「いい茶こ」と言うそうですね。うちの粉末スティックも一度試してみてください。
――オフの日は何をされていますか。
完全オフ日というのは、今年は1月1日だけだったのですが(笑)、「この仕事をしていたらまとまった休みは取れないよ」ということは妻にも結婚する際に伝えています。父が亡くなる前までは魚釣りが趣味でしたが、なかなか忙しくて時間が取れません。最近、大分近海ではイカがたくさん揚がるらしく、ぜひ行きたいんですけどね。最近のオフ時間は子どもを遊びに連れて行ったり、ですかね。
――大分県中津市ご出身の川谷さんが思う「大分の魅力」はなんですか。
まずは「食」ですよね。よく言われることですが、新鮮な山のもの海のものが豊富にあるというのは強みだと思います。それとこれもベタですけど、温泉。自宅の庭を掘ってもすぐに出るっていうぐらい、大分はいい温泉が出るんですよね。
PROFILE
川谷哲也(かわたに・てつや)
全国手もみ茶振興会認定 教師、第7期「茶聖」
日本茶インストラクター、合同会社お茶の川谷園社長
1979年、大分県中津市耶馬渓町出身。高校卒業後、国立試験場(野菜茶業研究所)の研修生として2年間お茶について学ぶ中で、手もみ茶に出合う。父が創業した茶園「川谷園」の2代目。2011年、「全国手もみ茶品評会」にて農林水産大臣賞(1等1席)を受賞、その後も多くの賞を受賞している。