納豆工房 大きな豆の木榑松倫・美紀 夫妻
――東京生まれ東京育ちの倫さんが、イモリ谷に移住し、納豆作りを始められた経緯を教えてください。
倫さん 中学受験をして法政大学の付属中学に入り、そのままエスカレーターで法政大学経済学部に進学しました。大学生の頃は茶道の先生について茶の湯を習っていました。着物を着てひとりで京王線に乗って。今思うと、その頃からちょっと普通とは違う感じだったんだと思います。
大学を卒業する頃はちょうど就職氷河期で、就職できずに飲食店でアルバイトをしていました。その時に「おいしいものをおいしく頂くって難しいな」って感じてました。わりと考えるタイプなんで(笑)。
そうこうしている時に品川の桐たんすのメーカーで求人があったんです。元々、茶の湯をやっていましたし、伝統工芸の道に進もうと思い、就職しました。勤めてみて、桐たんすは素晴らしい伝統工芸ですけれど、時代とともに暮らし方が変わっていく中で、伝統工芸の世界も現代の暮らしのスタイルに合わせるのがなかなか難しいな、と感じ始めてしまいまして。約2年勤めたところで、「やっぱり食の方に行こう」と方向を変えました。
たまたま伊豆大島の製塩会社で求人があってそこに転職しました。そこでは昔ながらの塩田を効率的に改良した「立体式塩田」で塩を作っていました。マクロビオティック*1とも深い関わりがある会社だったんですね。「こういう考え方もあるんだな」と学びました。また、工場の設備そのものが手作りで、壊れたものも自分たちで直すという会社でした。そういう部分でも大きな影響を受けました。
ところがまた約2年経ったところで、「しばらく海暮らしだったから、今度は山の方に行きたいなー」って思い始めたちょうどそんな時に、「大分県のイモリ谷というところの納豆工房で働く人を探してるよ」って、風の噂みたいな感じで聞いたんですよ。大々的な募集という訳ではなかったと思うんですけどね。「それならちょっと1回見に行ってみよう」と、伊豆大島からフェリーに乗り、大分までスーパーカブに乗ってやってきました。*1 マクロビオティック:玄米、全粒粉、豆類、野菜、海藻類、塩で組み立てられた食事を元に、自然と調和を取りながら、健康的な暮らしを実現するという考え方。
――さまざまな職業を経た後、「伝統」や「食」などのキーワードに導かれて、イモリ谷にたどり着かれたのですね。
倫さん そうですね。移住してきたのが2004年。ちょうど集落をあげて大豆栽培に取り組んでいた頃でした。そして大豆の加工販売も地元でやっていきましょうと、納豆工房ができたのです。だから、仕事場はある、でも仕事と住居はないという状況でした。不安定ではあるものの、可能性を感じて、最初に見に来た段階で即決しました。
――見知らぬ土地で納豆作りという未知の仕事をすることに迷いはなかったのでしょうか。
倫さん そういうことをよく聞かれるんですよ。「どうしてここを選択されたんですか?」って。でも「選択」って他の選択肢があってのことじゃないですか。私の場合は、他の土地をまったく見ていないから、選択した、という意識ではないですね。
でも、惹かれた理由としては、最初にオーナーが試しに作られた納豆を試食させてもらったんですけど、とても不思議な味がしました。今まで食べたことがないような。さわやかな納豆でした。ただ商品と呼べるようなものはまだ出来上がってはいませんでした。それを食べているうちに、ここで自分で大豆を育てて、納豆に加工して販売するというのは、やりがいのある仕事だな、チャレンジしてみようという気持ちになったんです。
――なるほど。この土地で作られた納豆の味が、移住を後押しした訳ですね。奥様の美紀さんは福岡のご出身だそうですが、ご結婚を機に移住されたのでしょうか。
美紀さん 私は福岡市内の会社で働いていました。でも疲れることが多くて、よく海外旅行に行ってたんですよ。いわゆるバックパッカーですね。タイの山奥に行ったり、ダイビングもよくしていました。とはいえ、そんなに頻繁にまとまった休みが取れる訳ではないですし、金銭的にも続かないので、もう少し近いところでリフレッシュしたいなと思った時に、友人から、グリーンツーリズム*2を勉強する会に誘われたんです。
その一環として、ここ、安心院のイモリ谷を訪れたんです。それが出会いですね。安心院には何回か来たのですが、すごく素敵なところだなって。いかにも観光客といった雰囲気で集落を歩いていると、中学生や高校生が必ず「こんにちは」って挨拶してくれるんですよ。なんて気持ちのいいところなんだろうと思いました。人も素敵だし、山もあって海も近くて、食材も豊富ですし。*2 グリーンツーリズム:都市住民が農山漁村に滞在し、農漁業体験など自然や文化を楽しみ、地域の人々との交流を図る余暇活動。元々はヨーロッパで普及した活動だが、日本でも1994年にグリーンツーリズムの振興を支援する「農山漁村余暇法」が制定され、さまざまな地域で民宿の整備や体験・交流プログラムが作成された。
――倫さんのことはもちろん、安心院という町にも惹かれて移住されたのですね。
美紀さん まあ、そんなところです(笑)。会社を辞めて福岡から移住してきたんですけど、結婚当初、暮らし始めた納屋はトイレもお風呂もなかったんですよ。
倫さん なかったね(笑)。住まいはここからすぐの納屋をお借りしたんですけどね。山水を引いて、プロパンガスは付けたけど、トイレと風呂はなかったね。それほど不便を感じていた訳ではないんですけど、家族が増えるとなると、さすがにずっと納屋で暮らす訳にはいかないので、自分たちで家を建てることにしたんです。
――自分たちで家を建てる、とは、どういうことでしょうか。
倫さん 納豆工房の隣にある、今、家が建っているところは、元々はぶどう園だったそうですが、台風被害にあって耕作放棄地になっていました。その土地をオーナーさんが貸してくださることになったんです。それで、建築の本を読んだり、ネットやYouTubeで調べたりして、「ストローベイル」という建築工法があることを知りました。「ストローベイル」というのは四角く圧縮した藁(わら)のことです。
イモリ谷にはぶどう園が数カ所あるんですけれど、育つ環境を良くするために、ぶどうの木の下の地面に藁を敷くんですよ。近所のぶどう農家の方も、軽トラで藁を取りに行って、いっぱい積んで帰って来られるんです。この辺りはストローベイルが入手しやすいということが分かってきました。藁のブロックをレンガを積むように積み上げて、身近な素材で建築を成り立たせようというのがストローベイルハウスです。
――近所のぶどう農家の方というのは、「koji note」にご登場いただいた安倍斉(あべ・ひとし)さんですか。
倫さん そうそう、安倍さんはユンボの運転が得意だからと基礎を手伝ってくれました。屋根は大工さんと一緒にやりました。壁の土塗りは、子どもから大人まで、集落の方がたくさん手伝いに来てくれて。私たちの友人の三和酒類の社員の方も来てくれましたよ。そして2年がかりでようやく完成したんです。
美紀さん 長女が生まれる直前でした。なんとかぎりぎり間に合った(笑)。
――おとぎ話に出てきそうな素敵なお家、まさかご自分たちで建てられたとは驚きました。それでは、改めまして、納豆作りについてお聞きします。イモリ谷に移住されてから納豆作りを始められたとのことですが、どこかで修業をされたのですか?
倫さん 設備一式はオーナーさんが用意してくださっていて、「一応これをこうすればできる」という説明を受けました。東京に帰った時は東京の納豆店を見に行きましたし、耶馬溪(やばけい)*3の方で納豆を作っている方がいるというので、そこにも見学に行きましたが、ほとんど手探りですね。農業に比べて加工品は毎日失敗して修正してという試行錯誤ができるのがいいですよね。農業は経験を得るのに時間がかかりますから。*3 耶馬渓:大分県北西部の溶岩台地が山国川(やまくにがわ)などに浸食されてできた峡谷。紅葉の観光名所としても知られる国指定名勝。
――試行錯誤の納豆作り、難しさや美味しさの秘訣について教えてください。
倫さん 納豆ってワインにちょっと似ていると思うんですよね。素材以上のものはできないというか。なので、大豆そのもののうまさを最大限引き出さないといけないのですが、まずは蒸し方。うちの納豆は離乳食にもできるほど柔らかいのが特徴なんですけど、煮崩れないように豆そのものの形を残さないといけない。季節によって水温も変わりますから、水に漬けておく時間にも調整が必要です。
あとはどれだけ納豆菌が活躍できる環境を整えてやるか、ですね。うちの納豆にはフクユタカという品種の大豆を使っています。地元産の大豆にこだわっています、風景が浮かぶような食品を作ることに誇りを持っています。納豆菌はすごいですよ。タフでいい奴。金太郎みたいなイメージですね。少々のことではめげずにちゃんと納豆を作ってくれますから。
フクユタカって大粒なんですけど、納豆菌の立場からすると小粒がいいんです。全体として表面積が広くなるから。「ワタシ、小粒がいいな」って思ってるはずなんですけど(笑)、大粒ゆえに煮豆本来の美味しさが納豆になっても残るんですよね。そして口の中で溶けていく柔らかさ。そういう納豆をイメージして作っています。
倫さん ちなみにうちでは醤油(しょうゆ)も味噌(みそ)も自家用につくっているんですけど、特に醤油麹を扱うのは難しいです。味噌はまだ家でつくっている人もいると思うんですが、醤油を家庭でつくる文化ってもうほとんど見ることができないでしょ? 私も自分でつくってみてその大変さが身に染みました。
美紀さん 醤油麹は暴れっぽくて、いつも上手に育てるのが難しいよね。
倫さん それでも菌と共生する暮らしに魅力を感じています。日本独特の文化ですし、仕事としても、とても居心地がいいです。野菜を育てるのと近いんですけど、目に見えない小さな生き物(菌)とやり取りしている感覚ですね。納豆のパッケージに描いているのは納豆菌の「菌太郎」なんですけど、菌太郎と日々会話しながら仕事をしています。菌太郎は本当に頼りになるいい奴なんですよ(笑)。
――菌と共生する喜びが感じられるお仕事なんですね。
倫さん そうですね。あとは大豆が蒸し上がる時の甘いにおいと湯気。それだけで幸せな気持ちになります。おじいちゃんおばあちゃんは「懐かしいにおいがする」って言いますね。
美紀さん ホテルの朝食でうちの納豆を食べた方が「美味しかったから」ってパッケージを取っておいてくれて、わざわざ買いに来てくださった時もうれしいですね。
倫さん そうですね。ここまで買いに来る人はそんなにたくさんいないんですけど、僕たちがこの土地に受け入れてもらったように、この土地に興味を持って来てくれる方のためにも、工房だけじゃなく店として、いつでも開かれた場所でありたいと思っています。
――納豆の原料となるフクユタカの栽培もされているのですか。
倫さん はい。大豆の栽培のほか、米、麦、野菜の栽培。養蜂、養鶏、狩猟。あと先ほども言いましたけど、醤油づくり、味噌づくり。自分たちで作れるものは、だいたい作っています。
――それはすごいですね。自給自足を目指しているのですか。
倫さん そうではないんですよ。何が起きているのか知りたい、そのために作りたい、という感覚です。例えば、蜂を飼うまでは、花には関心がなかったんですけど、あまり花がない時期にでも蜂は花粉つけて帰ってくるんですよね。「この色の花粉、どこで集めてきたの?」っていう目で見ると視野が広がるんです。虫メガネをのぞいていてピントが合った瞬間細部や成り立ちが見えてくる。そんな感覚ですね。
あと、狩猟は楽しいですね。僕がやっているのは罠猟(わなりょう)です。動物ってね、だいたい同じ獣道を通るんだけど、それでも「そっち歩いたか」みたいなことがあって。動物と歩幅を合わせることができた時に、罠にかかってくれるんですよね。これこそが自然の中で暮らす楽しみです。相手のことが分かったというか。動物たちと文通している気分です。
――罠猟にかかるのはどんな動物ですか。
倫さん シカ、イノシシですね。
――さばくのもご自身で?
倫さん もちろんです。このハンティングナイフも自分で作ったんですよ。ハンティングナイフの世界は奥が深いというのが分かってきました。日本にもまたぎ文化がありますが、私は現代ナイフに魅力を感じました。よくナイフは「身体のほんの少しの延長だ」と言われますが、暮らしの中で生まれるデザインが世界中に無数にあることが分かりました。僕は、醤油や味噌づくり、養蜂や狩猟にしても、先人たちが極めてきた文化をなぞる、自称“ナゾリスト”なので(笑)、インターネット先生に、ナイフ作りも動物のさばき方も、すべて教えてもらいました。あらゆるノウハウをインターネットで調べることができるので、ナゾリストとして農村のフィールドを無限大に感じています。いい時代になりましたね。
――ご自身で仕留めて、さばいて。そのためのナイフも手作りとは! その肉はどこかに卸しているのですか。
倫さん いえ、肉や蜂蜜は売らないです。なぜかお金に換えた瞬間がっかりしちゃうんですよ。命をいただいているということもあるのかな。とにかく、売るのは納豆だけで、あとは自分たちで頂きます。
美紀さん イノシシはミンチにして餃子にすると美味しくて、子どもたちも大好きです。シカもイノシシも特に若いものは柔らかくて美味しいです。それぞれに個体差があるのがまたジビエの魅力だと思います。やはり一番気を遣うのは加熱する時の温度ですね。ジビエ肉には市販の肉とは違う輝きがあると思います。
倫さん 鹿肉のジャーキーも美味しかったね。ここまでする人もあんまりいないと思いますが(笑)。
――まさに自然と共生した暮らしを送ってらっしゃるのですね。改めて、お2人にとっての大分の魅力とは?
倫さん 農村には自然豊かなフィールドがあって、特にこの大分県には温泉のような自然の恵みがたくさんある。今、キャンプが流行ってるんですよね? 僕たちにとっては毎日キャンプをやってるみたいな感じです。木こりの仕事もしているのですが、朝暗いうちから山に登って木を伐って、お昼には小さな火を作って湯を沸かして、去年作った米を炊いて今年できた味噌汁を飲んでいる。山から見る景色は本当に絶景なんです。山から下りてきて暖かい家でまた火を焚いて湯舟に浸かる。毎年、種を播いて紡ぐ暮らし。僕にとって農村というのは、まだまだ無限大の可能性があって、楽しみがたくさん見つかる場所だと思っています。
美紀さん 都会から急に引っ越してきた私たちに、みなさんすごく親切にしてくださるんですよ。特に子どもが小さい頃は、いろいろ教えて助けてくださって。子どもたちが少し大きくなってからは、どんなにうるさくしても、全然怒られないのがいいです。都会では考えられないですよね。
それに石とか砂とか葉っぱとか、ここならではの自然の材料を使った遊びを子どもたちが楽しんでいるのもいいなと思います。中学生の長女は都会に憧れているみたいですけどね。都会で育った私たちとは逆ですね。次女は解体した後の肉の切れ端をさらに猫用に細かく切ったりしていますし、今のところ、ここの暮らしが合っているみたいです。将来はたくさん動物を飼いたいと言っています。
――雄大な自然の中で、自分たちが作ったものを食べる暮らし。その中でお酒は飲まれますか。
倫さん 仕事柄、水温には敏感なんですけど、ちょうど気温と水温が同じになる秋口に出てくるお酒があるじゃないですか。「ひやおろし」って言うんですかね。それを10月ぐらいから冬中、ずっと飲んでいます。春、暑くなってくるとビールですね。最近は三和酒類さんの日本酒「純米福貴野(じゅんまいふきの)」をよく飲んでいます。地元米を使ったお酒ですからね。再評価と言いますか。もうずっとこれでいいのかもしれない、って思っています。
美紀さん 私も昔は飲んでいたんですけど、最近はすぐに眠たくなっちゃって。子どもたちの習い事の車での送迎もありますしね。落ち着いたらゆっくり飲みたいと思っています。
――それでは最後に今後の展望についてお聞かせください。
倫さん 経営者や起業家のような目線でのダイナミックな展開というのは考えていません。日々の小さな変化を感じながら微調整していく暮らし、って言うんでしょうか。納豆作りも農業も自然相手なので思い通りにはいかないですしね。なぜこういうことになったのか、正解が分からないことも多いですが、そういうものにピントを合わせていく。そんなイメージでこれからも家族で暮らしていきたいです。
PROFILE
榑松倫(くれまつ・りん)
「納豆工房 大きな豆の木」代表。東京都世田谷区出身。法政大学経済学部卒。飲食店勤務、桐箪笥職人、塩工場職人を経て、納豆作りの道へ。農業、林業、養蜂、養鶏を営む。時に猟師にもなる。先人が切り拓いた文化をなぞることを生きがいとする自称“ナゾリスト”。英語が得意でインターネットの英語動画から、さまざまなノウハウを得ている。二女の父。
PROFILE
榑松美紀(くれまつ・みき)
「納豆工房 大きな豆の木」を夫の倫氏と経営。福岡県福岡市出身。会社員時代は世界を旅するバックパッカー。二女の母。