農業家(大麦栽培) 元吉 堅
――農業を営んでいらっしゃる宇佐市葛原地区はどのような土地柄ですか?
葛原は古い歴史のある集落です。葛原古墳(5世紀後半に造成されたと推定される円墳)もあるくらいですから。この辺りの土壌は、黒ボク土。黒くてホクホク、ボクボクしていることから、そう呼ばれています。火山灰由来であり、植物の生育に必須のリン酸の吸収が悪いという弱点がありますが、水はけが良いのが強み。肥料の工夫などにより土壌改良を行い、質の高い農業が可能になっています。
――この地区の大麦作りは、どのように始まったのでしょうか?
現在、稲作農家では、冬の間の収入源を確保するために、裏作として大麦などの麦を育てるところが少なくありません。中でも葛原地区の農家は、大分県の中でいち早く麦作りに取り組んできた歴史があります。そうした経緯もあり、宇佐市全体としても麦作りは品質、収量ともに、現在大分県でトップクラスにあると評価されています。
私は、当初は裏作で小麦とハダカムギを作っていたのですが、しばらくして大麦に転換しました。例年、水を張って田植えを始めるのは6月中旬ですが、小麦やハダカムギは収獲時期がその辺りまでズレ込む年もありました。田植え用に、明日から水路が開いて水が流れるぞ、という前夜、夜を徹して麦を収穫したこともありました。そこで早生(わせ)で早く収獲できる大麦に替えたのです。
――元吉家は、代々農家の家系だそうですね。
はい。私で何代目なのか、分からないくらいです。私は4人きょうだいの末っ子で長男だったので、小さい頃から、将来は親父の仕事を継ぐと思っていました。地元の農業高校に進学しましたが、事情があって中退。紆余曲折ありましたが、20代半ばで親父と一緒に農業を始めました。当初は建設業との兼業でしたが、私が30代のころ、親父が病を得たことがきっかけとなり、農業に本腰を入れて元吉家の田畑を受け継ぐことを決めました。
親父は稲作だけではなく、麦作りにも積極的でした。親父から仕事を完全に引き継いで2、3年目のことでした。私が手入れした麦畑を車で見て回った親父から、「お前、本当にいい麦作りきるのう」としみじみと褒めてもらいました。厳しい親父で、褒められたのは後にも先にもその1度だけ。あのとき親父に褒めてもらった経験が、私を麦作りに駆り立てる原点となっています。
――大麦作りの難しさはどんなところにありますか?
米作りも大変ですが、私の感覚では、麦作りはもっと大変です。麦のための土作りは、田ごさえ(田植えの準備)の2倍以上の手間暇がかかります。日本の米作りの基本は、田んぼに水を張って水田で育てる水稲です。ところが、麦は本来畑で育てるもの。麦は乾燥を好み、水気を含む「湿」に弱いという特徴があります。
10月中旬に稲刈りが終わると、麦作に適した土作りを行ったうえで、11月末から12月頭にかけて種をまきます。その際、土作りで大切なのは、「湿」を避けるための徹底した排水対策と、土壌のpHを適正化する酸度矯正。一般的に麦はややアルカリ性の土壌を好むので、苦土石灰(くどせっかい)*2を撒いて酸度を最適化します。どちらかが不十分でも、麦は満足に育ちません。麦の中でも、大麦は特に管理が難しい。特に排水対策が不十分だと、2月頃に立ち枯れが起こります。小麦やハダカムギならば、排水対策が多少甘くて、それが原因で収量が落ちることはあっても、枯れることはありません。ですが、大麦の場合は、まるで溶けるように枯れるのです。また、酸度矯正が不十分だと大麦は発芽率が悪くなってしまいます。*2 苦土石灰:土のアルカリ性を高めるための肥料。苦土(マグネシウム)と石灰(カルシウム)。
――大麦の中で、「ニシノホシ」を育てるのはどうなのでしょうか?
正直、難しいですね。事実、三和酒類さんから、20年ほど前に「ニシノホシ」を作ってほしいというオファーをいただいた当初、葛原地区のベテラン農家でも上手に育てることはできませんでした。小麦しか作った経験がないと、「ニシノホシ」作りは難しかったのです。幸い、私は過去に「ダイセンゴールド」や「あまぎ二条」といった大麦を作ってきた経験がありましたから、その経験を「ニシノホシ」作りに活かすことができたのです。
――良質な「ニシノホシ」を作るコツはどこにありますか?
やはり排水対策の徹底がポイントです。土が湿っているときに種をまいても、発芽率が低い。田んぼの水を落としてから、いかに乾かして種まきができるかが勝負です。広い耕地では、水はけの良いところと、水はけが悪くて「湿」が溜まりやすいところが、必ず出てきます。水はけの良いエリアは多少放っておいても大丈夫ですが、水はけが悪いエリアをきちんとケアしないと、全体として良質な大麦は収獲できません。
通常、畑の地下約40cmのところに、排水用のパイプを通しています。これを「暗渠(あんきょ)排水」と呼びます。ただ、それだけでは排水は不十分なので、各農家は「弾丸暗渠排水」を行います。地下20cmくらいの深さに鉄球を沈めて、それをトラクターで引いて水の通り道を作るのです。私はこの「弾丸暗渠排水」を通常より、きめ細かく行っています。具体的には、畝(うね)と畝のちょうど真ん中を通るように、約1.2m間隔で「弾丸暗渠排水」を行い、畑全体の排水を良くしているのです。それにより、粒の硬さと大きさが麦焼酎造りに適した「ニシノホシ」ができます。
もう1点だけコツを言うと、いちばん良い時期にピンポイントで素早く収獲し、すぐに乾燥させる適期収獲も不可欠です。そのために私は最新の大型コンバイン1台、大型乾燥機4台(300石)を導入して、収穫後の乾燥作業を素早く行えるようにしました。
――元吉さんは、従来にない大麦の作り方をされていると伺いました。
それは、麦作りを長年続けている中で、これまでの常識には、必ずしも正しくないことが含まれていると実感してきたから。それに対応してきた結果です。例えば、大分県の農業カレンダーには、いついつまでに何回麦踏み*3をしましょうと書かれています。しかし私は麦踏みをしません。
昔は牛や馬で畑を耕していました。それだと、土が十分細かくならないので、麦踏みをしないと、まいた麦の種も肥料も畑に定着し辛かったのでしょう。ところが、いまはトラクターで耕しますから、その段階で土の固まりを十分細かくサラサラに整えてやれば、麦踏みを何度もする必要はないと私は考えています。むしろ麦を踏み過ぎると、いい麦が育ちにくい。特に、冬場で気温が低く畑が乾きにくい時期に、無理に麦踏みをすると、乾きが余計に悪くなることがあります。
私は庭木を育てるのが趣味です。花でも何でも、植物は葉っぱが傷つくと、そこから傷んでダメになることが多いようです。大麦も植物ですから、踏み過ぎてダメージを与えると、その後の生育にマイナスになる部分が多いと思います。麦は初期生育が旺盛でないと、その後の生育がどんどん遅れます。若葉のうちに何度も踏んで「せがう(大分弁で“いじめる”)」べきではないのです。事実、麦踏みをし過ぎると、「分けつ」*4が不十分になると言われています。*3 麦踏み:麦作の伝統的な手入れ方法の1つ。麦を人の足で踏むことで根張りをよくする。いまは農機を使って行うことが多い。
*4 分けつ:茎(くき)の根元から、新しい茎が生えること。麦では元の1本の茎から10本ほどの茎が生える。
――通常、「分けつ」を促すために用いる肥料も、最近は与えていないそうですね。
はい。これまでの麦作りの常識では、お正月明けに、「分けつ」を促すための「分けつ肥やし」をやるのが当たり前でした。葛原地区では、1月末から2月頭に「分けつ」が終わっていないと、良い麦に育ちませんが、私はもう5〜6年「分けつ肥やし」を使っていません。肥料は水溶性なので、冬場の乾燥した時期に、「分けつ肥やし」をやっても、大麦の栄養になりにくいのです。そこで私は、まいた種に最初に与える肥料(元肥)を従来の1.5倍ほどに増やし、「分けつ肥やし」を追加しなくても、大麦が栄養不足にならないように工夫して成果をあげています。
――常識にとらわれない元吉さんの斬新な発想は、どこから生まれてくるのでしょうか。
それは人一倍、畑を観察しているところから来るのだと自負しています。毎朝起きると、すぐに自宅を出て畑を見て回ります。自分の畑はもちろん、他の人の畑もできる限り見て回るのです。私自身の畑は20haほどですが、近隣の地区の畑100haほどは、どこの誰がどんな栽培をしているかをよく知っています。
あの人は麦を踏んでいたけれど、出来栄えはどうだろうか。あの人は「分けつ肥やし」を撒いていたけれど、生育はどうなっただろうか……。そうしたデータを頭に入れながら、毎朝畑を見ていると、何が正解かが徐々に分かってきます。昔から農家は、お隣さんがどんな作業をしているかを常に気にしながら、切磋琢磨してきました。私はそれを地道に続けているだけなのです。
――ご自身の大麦作りの知識と経験を、今後どのように伝えていこうとお考えですか?
仲間たちとは、いつも盛んに情報交換していますよ。「収量を上げるには、どうしたらいい?」と尋ねられたら、いまのやり方を聞いたうえで、「今年はもっと排水対策をした方がいい」など、できるアドバイスをするようにしています。
葛原地区の大麦作りはこの3年、空前の豊作が続いています。私の畑では1反(約10a)当たり、11俵(約550kg)ほどの収量がありました。これは大分県でもトップクラスです。その評判を聞きつけて、周囲で「ニシノホシ」を作っている若い農家たちも、「麦作りを教えてください」とやってくるようになりました。特に15歳ほど年下の農家2人には、「いいか、麦を踏むなよ」と麦作りの極意を教えています。麦刈りや田植えの加勢にも出かけています。
――お子さんにも、農家を継いでもらいたいと思っていらっしゃいますか?
息子2人はまだ小さいので、具体的な話は何もしていません。でも、焼酎で晩酌(ばんしゃく)をしているときに、「お前たちは将来、何になりたいの?」と聞いてみると、2人とも「お父さんと百姓をやる!」と言ってくれます。この先、どう変わるか分かりませんが、うれしいですね。
農業は3K(きつい・汚い・危険)だと言われます。確かに、田植えの時期は泥んこになりますし、自然相手の仕事ですから、大変なこともあります。しかし、私は作物が育ちやすい環境を研究し、その準備を整えたら、あとはなるべく余計な手出しをしないで、植物の力にまかせようと思っています。本当に必要なとき以外は田んぼにも畑にも手を入れないので、子どもたちが学校から帰ると、だいたいうちにいます。いつも遊びの相手をしているから、子どもたちは大喜びだし、一緒に魚釣りに行ったり、温泉に行ったりしているから、「こりゃ、百姓という仕事は楽勝だぞ!」と彼らは思っているかもしれない(笑)。
――若い農家や、お子さんたちにいちばん伝えたいことを教えてください。
これからは、AI(人工知能)やロボットなどを駆使して省力化、効率化を図るスマート農業の時代だと言われています。確かに省力化も効率化も必要ですが、それをAIに教えてもらうのではなく、自分の頭で考えながら経験値を高めて成果を出すところに、農業の面白さがあると私は思います。
特に大麦は、作り方次第で、質も収量も爆発的に変わります。自分なりに工夫を凝らし、それが目に見えるカタチで跳ね返ってきたら、大きな達成感があり、次はここをこう変えてやろうといった意欲が湧いてきます。それが農業の醍醐味ではないでしょうか。
少子化、後継者不足が深刻化する中で、就農者を増やすために、農業をラクで儲かる仕事にすることは大切です。しかし、それ以上に大事なのは、農業の「楽しさ」「面白さ」を伝えることだと思っています。
私の妻は、家業を聞かれると、胸を張って「うちは農業です」と答えます。若い人も、私の息子たちも、「うちは農業です」と笑顔で胸を張って言えるように、これからも「ニシノホシ」作りに励み、「楽しい農業」「面白い農業」を実践して良いお手本になりたいと考えています。
PROFILE
元吉 堅(もとよし・かたし)
1955年、大分県宇佐市葛原地区で代々農業を営む家に生まれる。4人きょうだいの長男として30代で家督を継ぐ。大麦作りに30年以上の経験を持ち、2011年と21年に「iichiko 西の星賞」を受賞。
大分のおすすめスポットを
教えてください。
庭木が好きなので、どうしても山に足が向きます。耶馬渓(やばけい)や飯田高原は自然が豊かなので是非行ってみてください。四季折々の美しさがありますが、特にキレイなのは紅葉の季節。京都の寺社仏閣の紅葉は人の手が入った美しさですが、大分の紅葉は素朴な自然の美しさが魅力だと思います。
どんなお酒をどのように
楽しんでいますか?
仕事が終わったら、まずビールを1杯飲んで、そのあとは麦焼酎です。私はロック派。妻が麦焼酎に合うつまみを作ってくれるので、ついつい杯が進みます。麦焼酎にいちばん合うと個人的に思うのは、脂が乗ったサンマなどの青魚のお刺身、そしてホルモン焼きです。
大分でいちばん自慢できる
ところはどこですか?
それは温泉でしょう。大分は良い温泉地がたくさんある日本屈指の“おんせん県”ですからね。家族でも温泉に入りによく出かけます。
お好きな大分グルメは
何ですか?
関サバ、関アジですね。瀬戸内海と太平洋の海流がぶつかる豊後水道で揉まれているので、うま味も歯ごたえもひと味違います。フェリーで豊後水道を渡ると、流れの速さに驚かされます。