globe/DJ/大阪芸術大学客員教授マーク・パンサー
1990年代の音楽シーンを席巻した3人組の音楽ユニットglobeのメンバー、マーク・パンサーさん。ボーカルのKEIKOさんが大分県臼杵(うすき)市出身というご縁から大分に通い始め、今では別府市、日出(ひじ)町、佐伯(さいき)市の大分県内3つの市と町の観光大使を務めています。マークさんの大分愛、温泉愛、日本酒愛、そしてKEIKO愛とglobe愛をたっぷりとお聞きしました。
文:青柳直子 / 写真:三井公一
インタビュー場所:三和酒類「辛島 虚空乃蔵(からしま こくうのくら)」(大分県宇佐市)
――まずはマークさんと大分との出合いについて教えてください。
globeの結成当初(1995年)からです。もう30年近く前です。KEIKOの実家が大分県臼杵市にあるふぐ料理で有名な料亭なんですよ。だからKEIKOの実家に行って、彼女の父ちゃんに船に乗せてもらって港で遊んで、二日酔いで帰るみたいな感じでしたね。
KEIKOが歌えなくなった頃(2011年より病気療養のため休業)から、KEIKOと離れたくないから僕がちょくちょく行くようになったんです。せっかく大分に行くのなら仕事もしようということで、大分市都町(みやこまち)にあるクラブ「CLUB FREEDOM」でDJをやらせてもらったのが2018年だったかな。
その後、大分のglobe世代の経営者の方たちと意気投合して、「大分のイベントでglobeの曲を流せないかな」みたいな話が出てきたんです。ちょうどDJとして47都道府県を巡回してglobeの楽曲を流すイベントをやっていた頃でした。
僕がそうやって大分で活動していると、KEIKOから「いいな、私も遊びたいな」みたいなメールが来るので、「終わったらすぐ行くよ」って返信して。結果的にKEIKOを元気づけることにつながったんですよね。
「マークは他県から来ているのに、次から次へと大分の観光大使になっていく」っていうのも、起爆剤になっていたと思います。つまり、僕にとっての大分はKEIKO愛から始まっているんです。
――マークさんにとって、大分=KEIKOさんなのですね。観光大使ということでは、2021年に「ツーリズム別府大使」、2023年に「日出町観光親善大使」、2024年に「さいき応援大使」に委嘱され、大分の魅力発信に尽力されていますね。
はい。僕にとっての大分はKEIKO愛から始まったんですけど、別府という土地に出合った時に、ものすごい「globe」、つまり地球を感じたんですよ。海があって山があってその真ん中に湯煙があって。その湯煙は怒っているんじゃないかと思うほどの力強さがあって。そんな景色どこにもないじゃないですか。地獄蒸し料理*1との出合いも衝撃でしたね。「蒸すだけでどうしてこんなに野菜からうまみが出るんだ」って。塩も醤油も味噌も要らない、それこそ地球=globeが調味料なんだ!って。それでどんどん別府にハマっていったんです。*1 地獄蒸し料理:温泉の高温の蒸気熱を使う調理法。塩分などを含む温泉蒸気で食材を一気に蒸すため、食材本来のうまみが閉じ込められる。
そして僕の別府愛が強くなればなるほど、別府が僕を放さなくなり、別府市長の長野恭紘(ながの・やすひろ)さんから「観光大使にならないか」と声をかけていただいた時は「マジ? 大使かよ」って驚きましたけど(笑)、なによりすごくうれしかったです。その土地を愛せば、その土地の出身じゃなくても大使という存在になれるんだって。別府の街を歩いていると「ホントにいた。コンビニにマークかよ!」みたいなことを言われたりしますよ(笑)。
日出町は別府の隣なので、ちょっと見に行ってみたら、湧き水がいっぱいあって。「こっちは温泉で、こっちは名水なのか。面白いな」と思って名水巡りを始めたんです。すると城下(しろした)カレイの謎みたいな話が出てくるじゃないですか。「海水の中に淡水が噴き出しているから、このカレイはこんなに大きくなるんだよ」って聞いた時に、「マジか。これもglobeやんけ!」って(笑)。そんな風に大分とglobeがどんどん連携するでしょ。大分のあちこちからglobeが湧いているのを感じるんですね。
――大分のあちこちからglobe=地球を感じて、その魅力にハマっていかれたのですね。マークさんは大分県プロモーションムービー「【ミッドナイトおおいた】おんせん県おおいた MV feat.マーク・パンサー」にもご出演されました。とても気持ちよさそうに温泉に入っていらっしゃいますね。
僕の温泉好きは子どもの頃からで、globeの前は「MEN’S NON-NO」のモデルをしていましたが、ロケで日本中に行くじゃないですか。となると各地の温泉ですよね。当時のモデル仲間の大沢(たかお)も田辺(誠一)もみんな温泉大好きで。中でも僕は当時からものすごい温泉好きで、「温泉観光アドバイザー」や「銭湯ソムリエ」の資格を持っています。日本中の温泉に入りましたが、別府みたいな1つのエリアでこれだけたくさんの泉質が楽しめるところなんて、他にないじゃないですか。
「別府八湯*2温泉道(べっぷはっとうおんせんどう)」というのは、別府市内の約150湯が参画していて、「パスポート」ならぬ「スパポート」というものを作ってスタンプラリー方式で巡り、スタンプが増えるにつれて段位が上がります。88湯巡った人は「別府八湯温泉道名人」になれるんです。これは別府市観光協会内の別府八湯温泉道事務局が運営しています。
ほら、これ見てください、首から外れないように縛って、いつも身につけているんです。「NPO法人 別府温泉道名人会」が発行しているペンダントです。4月には「別府八湯温泉まつり~湯ぶっかけまつり~」が催されますが、法被(はっぴ)を用意すれば名人会が出す温泉神輿(みこし)を担がせてもらえます。*2 別府八湯:別府市内8つの代表的な温泉郷(浜脇温泉、別府温泉、観海寺〔かんかいじ〕温泉、堀田温泉、明礬〔みょうばん〕温泉、鉄輪〔かんなわ〕温泉、柴石〔しばせき〕温泉、亀川温泉)の総称。
同時期に佐伯市長の田中利明さんと話す機会がありました。
「おんせん県おおいた=健康県大分ですよね。温泉に行くと、おじいちゃんたちが井戸端会議していて、心も体も温めていて。食べ物も天然の物が普通にスーパーで売っているじゃないですか。中でも佐伯は海の天然魚、山のジビエが売っていて、健康という観点から考えたら最高ですよね。ブルーゾーン*3としての佐伯、ありですよね」なんて言ったら、「応援大使になりなさい」って言われてね(笑)。
それで、別府市、日出町に続いて佐伯市と、今では県内3つの市と町の観光大使を務めることになりました。*3 ブルーゾーン:100歳超えの人が多く暮らす世界の5カ所(イタリア・サルデーニャ島、日本・沖縄、アメリカ・カリフォルニア州のロマリンダ、コスタリカ・ニコジャ半島、ギリシャ・イカリア島)の長寿地域のこと。
「【ミッドナイトおおいた】おんせん県おおいた MV feat.マーク・パンサー」の温泉入湯の撮影は2日間で別府だけでなく湯布院や臼杵など11カ所巡ったんですけど、寒い時期だったので、温→冷→温→冷みたいな感じで最後まで楽しく入浴できました。
――「おんせん県おおいた」の中でも、特にマークさんのお気に入りの温泉はどこですか。
やっぱり別府八湯ですね。明礬から鉄輪っていう順番が一番いい入り方だと思います。明礬温泉は酸性なので入っているだけで体の角質がはがれていくから、僕、石けんなんて使ったことないですよ。たくさんの温泉に入ってぽかぽかしながら歩いていくと、ほてりが引いた頃に鉄輪に着くんです。鉄輪温泉はアルカリ性なので、今度はぬるぬるすべすべになるんですよ。
別府八湯以外では、佐伯の海水を濾過して沸かす温泉があったり、竹田(たけた)のぬるい炭酸の温泉もいいですね。ホントに県内だけで個性豊かな温泉が楽しめますよね。旅館の温泉もいいですけど、市民風呂にふらっと入るのが最高に好きですね。じいちゃんたちが「お前どっから来た? 日本語うまいなー」なんて話しかけてくれて(笑)。別府では湯船の淵に座っちゃいけないとか、独自の温泉マナーについても地元の人が教えてくれます。
――マークさんの温泉愛、深いですね。最近では大分で日本酒づくりにも挑戦されているそうですね。
はい。2023年に、ここ、三和酒類さんの「辛島 虚空乃蔵(からしま こくうのくら)」で日本酒づくり体験をさせてもらいました。三和酒類さんとは、僕がDJをやっているOBSラジオ「JOY TO THE OITA+」のスポンサーをしていただいている関係で、「辛島 虚空乃蔵」の日本酒づくり体験第1号にならないかと声をかけていただいたんです。
僕が日出町の山田湧水という軟水に惚れちゃって、この柔らかい水を使ってつくれないかと醸造責任者の方に相談したんです。そしたらいろいろ調べてくれて、「ちょっと甘くなる可能性はあるけど、これはいける」と。いやあ面白かったですね。お米を蒸すところから始まって、ひねって食べて。麹もつくらせてもらって、種麹を米に振らせてもらって。一つ一つの工程が感動モノで、もう音楽でしたね。
限定150本の日本酒「仏歌鬼舞(ふっかきまい)」と名付けました。臼杵の仏・KEIKOが歌って、別府の鬼・マークが踊るっていうね(笑)。KEIKOの本名が山田桂子なので、山田湧水を使って、酒米も本当は山田錦がよかったんですけど、その時はちょっと入手が難しいということで地元の飯米のヒノヒカリを使いました。
出来た日本酒の味は狙い通りでしたね。フグや城下カレイのお刺身にかぼすを搾ったものに合うようなちょっと甘めのお酒。最初の荒ばしり*4を飲んだ時、「杜氏さん(三和酒類では醸造責任者)って、すごいな」ってつくづく思いましたね。味わいは三和酒類さんの日本酒「和香牡丹 八蝶 ヒノヒカリ」によく似ていると思います。*4 荒ばしり:日本酒づくりの原料をもとにアルコール発酵を終えた醪(もろみ)を搾る際に最初に出てくる酒のこと。
2024年からは日出町の山田というところで棚田を5反借りて、米作りから始めています。今度こそ山田錦を、と思ったんですけど、苗が手に入らないということで、ヒノヒカリを育てました。もう、農家の方の大変さが身に沁みますね。おにぎり1個食べるのにも「ありがとう」って感じです。僕たちは減農薬でやっていますけど、無農薬なんて本当に大変だと思います。今度は唐揚げに合う、ちょっと酸味があって辛口のお酒がつくれたらいいなと思っています。詳細は秘密なんですけど(笑)、ちょっとフランスの要素を入れています。
――どのようなお酒が出来上がるのか、楽しみですね。マークさんが日本酒にハマったのはいつ頃からですか。
日本酒は50歳になってからです。音楽業界にいるとシャンパンやワインが多くて、若い頃はお酒というより「アルコールを飲む」という感じでしたが。大分にハマって、経営者の方たちや、ある程度年配の方ともご飯に行くとなると、和食が多くなって、日本酒を頼むようになったんです。
日本酒って、食べたものと化学反応みたいなものが起きて、新しい味が生まれる。そのことに驚きがあった。それで醸造の過程を調べてみると一つ一つ理由があって、すごく理系の世界なんですよね。そういう細かいところが面白くて。
実は僕、50前まではただのパリピ*5だったんですよ(笑)。40代後半なんて82kgまで太っちゃって、この際ジムに行ってマッチョになるって決めてたんですけど、コロナ禍の時期にジムが閉まっちゃった。これはダメだということで、東京から神奈川の鎌倉に引っ越したんです。そこでサーフィンに出合って、健康体になったら味覚がリセットされた。今までのは、美味い=しょっぱい、だったんだなって。*5 パリピ:パーリーピーポー(パーティーピープルの転)の略。集まって陽気に騒ぐのが好きな若者たち。
日本酒にハマってからはどんどん味覚が面白くなってきちゃって。痩せるために何かをしたわけではなく、健康体になったら自然と15kgくらい痩せました。サーフィンして、犬の散歩で1日1万歩以上歩いて、山登りして、温泉に入って。人生前半世紀はアホ、後半世紀はもう最高! みたいな(笑)。自然とお酒もむちゃ飲みしなくなりました。ワインも昔は高い=うまいだったのが、今はナチュールに目覚めてますね。
――鎌倉にお住まいとのことですが、大分にも拠点を構えるご予定があるとお聞きしました。
今の生活拠点は鎌倉と佐久穂(長野県)と別府です。別府には住居があるわけではないので、そろそろ日出町に、と考えています。子どもが生まれてから、フランスのニース、沖縄の石垣島、神戸などいろんなところで暮らしてきましたが、すべて、山と海があるところでした。
別府というのは一遍上人(いっぺんしょうにん)ゆかりの地でもあるそうで。一遍上人は信濃国の佐久から「宗派関係なく、すべてを忘れて踊りながら行くぜ」みたいな感じで踊り念仏を始めて、鎌倉を通り、別府で鉄輪温泉の湯治場をつくって、最後は神戸で亡くなっているんです。踊り念仏ってもはやテクノラップ、しかもこのルート、オレが住んでたところやん、ってめちゃくちゃゆかりを感じてしまって。KEIKO愛から始まった大分愛がますます深まって、もう離れられないですね。
――それではアーティストとしての今後の活動について教えてください。
globeは2025年、結成30周年です。先のことはまだ何も分からないけれど、山の頂上に立った時のような達成感を味わえるかもしれない。50歳で味覚がリセットされたように、マーク・パンサー自身がリセットされる時を自分でも楽しみにしています。
でも、なにもなかった場合のためにもひとりでずっと音楽は練習しています。DJだけでなく、ベースやギターなどの楽器もやっています。アーティストという意味では、子どもの頃から絵を描くことも好きですしね。
僕の親父は漫画家だったんです。フランスから小さな車で世界一周をしようとしていた。それが日本まで来て、お袋に恋しちゃって、行程半分で終わっているんですけどね。途上で描いた漫画には「旅がつらい、もう辞めたい」みたいなことばっかり(笑)。親父が日本に着いたのが1969年。アポロが月面着陸した年です。漫画の最後のページにはお花畑に横たわって、「僕はこの素敵なglobe(地球)に残りたい」って書いてあるんですよ。宇宙じゃなくて地球だって。やっぱりなって思いました。僕はglobeが大好きで、大分が好きで温泉が好きで。フランス人だし日本人だし、僕の中には国境もないので、地球を愛する地球人、globerなんだなって思いますね。
PROFILE
マーク・パンサー
父がフランス人、母が日本人。2歳からモデルとして活動。男性向けファッション誌「MEN’S NON-NO」初の専属モデル、「Checkmate」モデルとして活躍。後に「MTVジャパン」初のVJとして活動。1995年から小室哲哉、KEIKOとの音楽ユニット「globe」のメンバーとして活躍。デビューアルバム「globe」は400万枚、この後の2作目、3作目を加えたアルバム3作品で1000万枚以上の売り上げを記録。2021年から大分県別府市のツーリズム別府大使、2023年から日出町の観光親善大使、2024年から佐伯市のさいき応援大使を務め、大分の魅力発信に尽力している。毎週月曜19:30〜20:10放送のラジオ番組「JOY TO THE OITA+」(OBS)のパーソナリティも務めている。