プロラグビー選手具 智元
――お父様が韓国代表としても活躍されたラグビー選手ということもあり、具選手とお兄さんは小さい頃からラグビーを始め、具選手が中学1年生の時にご家族4人でニュージーランドに移住されていますね。
はい。自分たちがラグビーを始めるにあたり、せっかくなのでラグビー大国であるニュージーランドでさせようと父が考えまして。
自分がちょうど中学1年生になる時にニュージーランドに行って、1年間過ごしました。そのあと日本に来て三重県に移るのですが、3カ月ぐらいいたあと、いったん韓国に戻って、自分が中学3年生になるところで大分県に移住しました。
――最初に三重県に移ったのは、当時お父様がプレーされていたホンダ(本田技研工業)の地元だから、ということでしょうか。
そうですね。三重県で入学を考えていた高校のラグビー部は韓国人も多く所属するチームで、居心地はよさそうでした。けれども、その時はまだラグビーを学んでいる途中だったので、居心地のよいところではなく、新しい環境でやってみようということで、大分県に行ったのです。
――どういう経緯で、大分県を選んだのでしょうか。
大分県佐伯(さいき)市にある、日本文理大学附属高校のラグビー部でプレーしたいと思って、佐伯市に移住しました。ラグビー部はまだ新しく無名だったのですが、グラウンドのすぐ隣に寮があって、ウエイトルームがあったり、すぐ裏にはトレーニングしやすそうな山があったりと、個人で練習するのにもすごくいい環境だと思いました。監督も熱くてとてもいい人だったので、その高校に決めて、兄も一緒に行くことになりました。
――大分への移住は具選手が中学3年生になった時ですが、高校に入学するまでの1年間、ラグビーはどうされていたのですか。
日本文理大学附属高校のラグビー部で先輩たちに混じって練習をさせてもらっていました。そして週末は、大分ラグビースクール*2にお世話になっていました。平日は学校で練習、週末は大分ラグビースクールで練習や試合に参加してと、そんな毎日でした。*2 大分ラグビースクール:大分RS。未就学児から中学生までを対象とし、大分市を拠点に1967年に設立した、50年以上の歴史を持つ九州最古のラグビースクール。卒業生には元日本代表選手など名選手を多数輩出。
――大分ラグビースクールは大分市ですから、佐伯市からは遠いですよね。車で片道1時間半くらいでしょうか。通うのが大変だったのでは。
日本文理大附属の監督の息子が、自分より2学年下で大分ラグビースクールに通っていたんです。なので、週末はいつも一緒に連れて行ってもらいました。
――住んでみて佐伯市はいかがでしたか。
慣れないことも多くて不安に思うことが多かったんですけど、みんな優しくて。最初の半年間ぐらいは佐伯市に家族4人で住んでいたんです(その後、ご両親は韓国に帰国)。日本語がそんなに喋れないお母さんが困ってる時も近所の人たちが助けてくれたり、今でもありがたかったと思いますね。
――大分に越してきて1年後、日本文理大学附属高校に入学して正式にラグビー部の一員になって。具選手は過去に「高校時代に戻れるなら戻ってみたい」という話をされていました。それはどういう理由なのでしょうか。
高校の時は友だちと遊びに行ったりすることが本当に全くなくて。というのも、毎日練習しなければ不安で、試合の日も終わってから山へ走りに行くくらいで。そうして毎日毎日ラグビーばかりをやってきたんです。だから高校生の時にもうちょっと友だちと遊んで、思い出を作ればよかったなっていうのもあって。
――本当にラグビー一筋だったわけですね。そんな中で、楽しみというか息抜きはどうしていたんですか。
お気に入りのラーメン屋があって、そこに兄と週に1度は通ってました。もともと日本に来てから、豚骨ラーメンはすぐに好きになって。そのお店に初めて行った時、もう本当に美味しくて……これは毎週お兄ちゃんと食べに行かないといけないって(笑)。佐伯ラーメンと呼ばれているもので、にんにくをよく利かせた、濃厚な豚骨ラーメンって感じです。
――やっぱり量もたくさん食べるんですか。
いえ、高校生の時はお金がそんなにないですから。チャーシュー麺は1杯800円くらいで当時の自分には高くて、普通のラーメンは1杯400円(当時の学生割引価格)だったので、普通のラーメンを大盛で2つ頼んでました。「しっかりラグビーの練習をしたあとに、お兄ちゃんと食べに行く」というのが本当に楽しみでした。
――コベルコ神戸スティーラーズのWebサイトに掲載されていますが、ラーメンはたくさん食べるけれども、回転寿司はあまり食べないとか。
そうなんです。麺類が好きで、高校生の時、先ほどとは別の店の話ですが、替え玉無料のラーメン屋さんがありました。そこでは11玉出してもらって、最後には汁がなくなって汁も追加してもらって食べたことがあります。あとは豚肉もすごい好きです。サムギョプサルとか。牛肉はあんまり食べないんですけど、豚肉はいっぱい食べます。
それと比べると回転寿司はそれほど食べないですね。今、兄と一緒に住んでるんですけど、2人で食べてトータルで3000円ぐらいかな。1人あたり10皿ちょっとぐらいですから普通ですよね。
――中学時代に大分代表、高校時代に九州代表に選ばれました。
中学時代は大分県代表に選んでいただきましたし、大きな代表としては高校時代の九州代表ですね。
自分が中学生の時、練習に参加させていただいていた日本文理大学附属高校のラグビー部は、いい選手は多かったんですけど人数がそろっていなくて。最初は8人という規模のチームでした。そこに、兄と、いとこと、兄の友だちと自分の4人が参加して、12人で練習をしていました。
その時は基本的な走る練習、きつい練習がすごく多くて。パスしながら走るっていうのをずっと繰り返してました。でもそのことで、体力、フィジカルのベースは上がったのかなって思ってます。
――15人いないと、試合もなかなか難しくなりますね。
自分が高校2年生の時も人数が足りなかったので、卓球部から選手を借りて15人にして試合をしてました。3年生の高校最後の大会で、確か20人くらいになったと思います。
――所属ラグビー部がそういう状況でありながら、九州代表に選ばれるっていうのは、すごいですね。九州には高校ラグビーの強豪校がたくさんありますし。
そうですね、それも高校の監督のおかげだと思いますので、日本文理大附属に行って本当に良かったなって思います。
――その後、拓殖大学、Honda HEAT(現在の三重ホンダヒート)に進み、2019年と2023年のワールドカップでは日本代表に選ばれました。具選手といえば、やはり2019年の日本大会で、アイルランド代表を撃破した試合が印象に残っています。あの大会をどのように認識されていますか。
2019年が初めてのワールドカップで、自分にとってもラグビーをやってきた中で一番大きな結果を残すことができた大会でした。いろいろな経験をして、あのワールドカップの前と後では、メンタル面も含めて自分が変わることができました。やはり自信がつきましたね。
――具選手といえば、右プロップ*3というポジションですね。スクラムでの活躍が印象深いです。特にプロップのポジションというのは経験が大事だと聞きます。何年もかけて勉強してトレーニングを積み重ねてスキルを体得していくのだと。具選手はスクラムを組む際にどんなことを考えてのぞまれますか。
まずは自分のスクラムのベースとなるスタイルがあり、それは大事です。けれども相手によっては、対応を変えていかないといけません。右プロップがスクラムを組んだら、対面の相手選手は1番の左プロップですが、苦手な相手であれば、自分のスタイルのままでいったらやられてしまう。そういう相手にはちょっと位置とかを修正して、こういうアングルで組んでみようとかって判断する経験値というのはやっぱりあると感じます。*3 右プロップ:スクラムの最前列は1番の左プロップ、2番のフッカー、3番の右プロップの3人で構成される。3番の右プロップは相手とスクラムを組む際に、相手の1番と2番の間に頭を入れていくことになり、特に相手の1番との間合いや駆け引きが重要になる。
組み方を変えていこうという場合、必ずフォワード同士で相談します。8人でまとまって組まないといけないのがスクラムなので。たとえば他の7人がまっすぐに組んでいく中で、自分1人が右方向に行っちゃうと、あとの7人は流されるだけなんで。だから事前に他のメンバーに、「相手の1番(左プロップ)はこう来てるから、もう少しここはこうしてみる」とかっていう調整はすごい大事ですね。
また、味方側のメンバーによっても、組み方が変わってきます。この1・2・3番のメンバーだったらパック(まとまって)で組みたい。だけど1人違うスタイルの選手が投入されたらちょっとその選手に合わせてあげるとか、そういうのもすごい大事なので。
――日本代表で組むスクラムはどうだったのでしょうか。
日本代表では、隣のフッカーは経験豊富な堀江(翔太)さんか坂手(淳史)さんだったし(共に埼玉パナソニックワイルドナイツ。堀江選手は昨季をもって引退)、スクラムコーチ(当時)の長谷川慎さんから示されるスタイルもずっと一貫していたので、組みやすかったですね。
――初心者にも分かりやすく、スクラムの基本を教えてください。スクラムはフォワードが8人で組みますが、その中では第一列の3人、つまり両プロップと間にいるフッカーで全体をリードするということになるのでしょうか。どうやってまとめるのですか。
スクラムだけを見ると、フッカーが全体をまとめて、両プロップはそれぞれ自分の後ろの人とコミュニケーションをとりますね。具体的にいうと自分は右プロップの3番で、後ろを右ロックの5番の人が押してくるので「このタイミングで押してほしい」とか注文を出したりします。左プロップの1番は左ロックの4番の人と同じようにします。また自分は1番の人に「もうちょっと寄ってきて」などと言うこともあります。
PROFILE
具智元(グジウォン)
1994年、韓国・ソウル市生まれ。183cm・117kg。ポジションは右プロップ。日本のプロラグビー選手としてコベルコ神戸スティーラーズ(NTTジャパンラグビー リーグワン ディビジョン1)に所属。ラグビー日本代表として2019年と2023年のラグビーワールドカップに出場、日本代表キャップ(代表としての出場試合数)は29。中学1年生の時にニュージーランドに移住。さらに中学2年時に日本にラグビー留学。中学3年生から大分県佐伯市に移住し、日本文理大学附属高校を卒業。拓殖大学に進み、トップリーグ(当時)のHonda HEATに加入。ジャパンラグビー リーグワン発足時に、コベルコ神戸スティーラーズに移籍。2019年、日本国籍を取得。柔和なルックスと性格から、ファンからは「グーくん」の愛称で呼ばれる。父の具東春(グドンチュン)さんは元韓国代表プロップ、兄の具智允(グジユン)さんも元Honda HEATの選手で、現在は格闘家。