お笑い芸人 ダイノジ大地洋輔、大谷ノブ彦
――2023年4月、東京から九州に拠点を移し、現在は福岡にお住まいだそうですが、芸歴29年にしてこの決断をされたのはなぜですか? また、移籍に関しておふたりの意見は一致していたのでしょうか。
大谷 50歳の節目に、人生後半戦は地元で、という気持ちになりました。コロナ禍の影響もありましたね。もし大地さんがダメだったら、僕1人で行こうと思ってたんですけどね。
大地 僕もいずれは地元に帰りたいという気持ちがあったので、全然反対しなかったですし、なんだったら僕が先に言い出したような気がしますね。
大谷 いやいや大地さんは何か深く考える人だとは思えないので。プレパラートみたいに中身が薄いから(笑)。
大地 ちょっとやめてー(笑)。
大谷 とにかく僕1人でも、と思っていたくらいなので、しれっと移籍するつもりが、ネットニュースにもなって、思った以上にみなさん反応してくれて。東京の「ルミネtheよしもと」で送別会ライブもしてくれたんですけどね、しばらくはルミネにも毎月出ますし、申し訳ない気持ちになりました(笑)。
――全国で活動する中での拠点を東京から九州に移したということなんですね。
大谷 そうですね。でも「中心は九州」という気持ちはもちろんあります。大分の方に「おかえり」って言っていただいた時はうれしかったですね。
大地 そうですね。僕らは意外に需要あるなって思いました(笑)。
大谷 だね。移籍の理由としては、九州を盛り上げたい、そのために自分たちにできることがあるんじゃないかと思ったのがひとつ。それから、地元に拠点を移すにあたって、ある意味、会社に依存しない、独立した気持ちを持つようになったと言いますか。というのは今、大地さんは北海道、僕は名古屋でレギュラー番組があるんですけど、拠点が東京だと交通費は東京からの計算なので、九州に来ようとすると何か仕事がないといけない。そういうこともあって、東京から九州までの間を埋めるために、自分たちで仕事を取ってくるようになったんですよ。九州の芸人さんたちにも「こういうやり方、楽しみ方があるよ」って提示できたらいいなという気持ちもありますね。
――なるほど、九州に拠点を移した結果、活動の幅がより全国各地に広がったということですね。
大谷 そうですね。僕ら芸人の仕事というのは待つのが基本だったんですけど、待つんじゃなくて自分たちから動く。全国各地に行って、いろんな方と出会ってお話を聞く。それが僕たちにとってはすごく大きな財産ですね。各地方の人と話をして思ったのが、住んでいる人が一番その土地の魅力を分かってないんですよ。地方都市の課題ですよね。自虐が多すぎるというか。「自分の街サイコー!」って感じで「もっとうっとりしろ!」って言ってるんですけどね。
大地 でも僕らもそうだったもんね。
大谷 そうそう。中学生の時、東京から転校してきた子が大分のことをめっちゃ褒めてたんですよ。当時は「大げさだよ」って言ってたんですけどね。
大地 自分たちが東京に行ったら、その子の言ってたこと「分かるな」って。九州の甘い醤油、最高だもんね。
大谷 うんうん。だから、新たな出会いもそうですし、そうやって各土地の人が、地元の魅力が分からずに悩んでいることは全部、めちゃくちゃ興味深いですね。例えば地方の何かのイベントにゲストで行った時、夜、打ち上げに出て、地元のスタッフさんたちと一緒に酒飲んだりしてると、他の都市と比べて魅力がないみたいな悩みが出てくるんです。そういう話を聞きながら、僕らなりの提案もして、「次こんなのやりますか」とかいうところまでもっていくんです。ネタのパワー指数でいうと僕らよりテレビに多く出てる若い子たちの方が高いと思うんですけど、地方で打ち上げに出てそういうことができるのは僕らだけなんで(笑)。
僕ら、漫才やコントの他に「DJダイノジ」(漫才師×DJのハイブリッドエンターテインメント集団)として、音楽フェスやライブにも出演させてもらっている自称“お祭り芸人”なんですよ。なので、各土地のお祭りを盛り上げたりとかはできるんじゃないかと。
大地 それで実際に大分県別府市の「湯ぶっかけまつり」(毎年4月開催の「別府八湯温泉まつり」の一部として行われる)を手伝わせてもらったりね。
大谷 別府温泉の湯を大量にぶっかけまくるという非常にクレイジーな祭りでして(笑)。今年は外国人観光客もすごく多かったですし。こういうことが九州に戻ってきての新たな発見ですね。例えばこれを福岡に置きかえて考えてみると、博多って地元の人以外が参加できるお祭りが少ないんですよね。「だったら参加型のお祭りをつくればいいじゃん、博多で」っていう発想につながる。アジアの入り口である九州で、本気で地方創生について考えてます。
大地 制度的なことは政治家や公務員の方が考えることですが、僕らはエンタメを通して地方創生の力になれるんじゃないかと思っているんです。
大谷 やっぱり地方都市は海外も含めて来訪してくれた人にお金を落としてもらわないといけない。僕ら、ちょっと言葉は悪いですけど、「エンタメかつあげ」って言ってるんですよ(笑)。エンタメをきっかけにその土地に足を運んでもらって、その土地の美味しいものを食べて、泊まってもらう。そこまでをパッケージとして考えるとするなら、各県に個性と魅力と美味しいものがある九州は最強ですよね。
――DJダイノジといえば「日本一フェスに呼ばれる芸人」との呼び声も高く、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」「SUMMER SONIC」「OSAKA METROPOLITAN ROCK FESTIVAL」「日比谷音楽祭」など名だたる音楽フェスティバルに多数出演、「DIENOJI ROCK FESTIVAL(ダイノジロックフェスティバル)」の主催もされています。そして、おふたりが発案した「ジゴロック~大分“地獄極楽”ROCK FESTIVAL~」がついに2024年3月に大分市内で開催予定ですね。
大谷 はい。地元で音楽フェスをやることがずっと夢だったんですよ。九州だと大分にだけフェスがなかったので、気になっていたんですけど、果たして自分たちにそんな力があるのかなって。それが大分に頻繁に帰るようになって、口に出して言うようになると、想定していなかったような偉大な大人たちが力を貸してくれることになりまして。
大地 ほんとにね。やっぱ口に出して言ってみるもんだよね。
大谷 ですね。僕、実は別府市にキャンパスがあるAPU(立命館アジア太平洋大学)で講師を務めさせもらっているんですけど、授業があった日にたまたま大分市で東京スカパラダイスオーケストラのライブがありまして。スカパラのみなさんとはフェスとかで仲よくしていたので、谷中さん(谷中敦/バリトンサックス)に連絡して観に行かせてもらったんですよ。そしたらそのライブはTOS(テレビ大分)さん主催で、昔一緒に特番やった方と再会したんです。で、その方が「TOS、50周年なんで何か大きなことやらないといけないんですよ」って言うので、「だったらフェスやりませんか?」って話になりまして。その場にいた谷中さんも「出たい、出たい」って言ってくれたんですよね。
大地 あれ? みんな乗っかってきてくれたぞ、みたいなね(笑)。
大谷 そうそう。それで、僕、ソニーミュージックさんの「フェスの作り方」みたいな講座を受講していて、授業の時に大分でフェスをやりたいという話をしたら、「吉本さんが出資してくれたら一緒に作れますよ」って。さっそく、当時、吉本興業ホールディングスの代表取締役会長だった大﨑(洋)さんに「地方創生ですから!」って手紙を書いたら、なんと「うちも出資しましょう」と言ってくれて、吉本からも出資してもらえるようになったんですよね。僕たちはただのタレントですけど、かっこつけずに“大人たち”に頼ればいけるやん、ってことが身に染みて分かりましたね。
大地 このフェスの実現も九州に移籍する大きなきっかけのひとつですよね。僕たちは実行委員会の中に入っているので、立ち位置としてはキャスティングです。
――なるほど、そういう経緯だったのですか。当初の予定では2023年3月に開催だったそうですが、コロナ禍の影響もあり1年延期になりました。
大谷 夢って簡単にはかなわないんだなって思いましたね。10年続けて若手に引き継ぐことができるフェスにしたいので、やっぱり初回で赤字を出したくなかったんですよ。
大地 コロナの状況を考えての苦渋の決断でしたね。
大谷 そしたら地元の同級生たちが「オレたちも何かできないかな」って言ってくれてね。ちょうど世代的に経営者になってる人も多くて。うれしいですよね。1年延期になった分、準備期間が増えたと思って、しっかり見直していきます。
大地 大分色(おおいたしょく)もしっかり出していけるようにね。
大谷 そうそう。足湯スペースを作ったり、大分の美味しいものを提供したりね。会場は大分スポーツ公園(大分市)なので、空港からちょっと遠いんですよね。空港からバスを出して車内で大分、九州っぽさを演出したりね。出演アーティストに関しては、自分たちがいいなと思う人たちはもう間違いないんで。
大地 夜もちゃんと大分市の繁華街の都町とかに泊まってもらってね。
大谷 「大分めっちゃ楽しいな、フェスじゃなくても来たいな」って思ってもらうところまでデザインしないと、本当の意味での成功ではないと思ってます。
――おふたりは中学校の同級生だそうですが、高校以降は交流がなく、東京でばったり再会してコンビを結成されたとお聞きしました。
大谷 中3の時に同じクラスで。でも本当にその1年間だけですね。
大地 高校が別なんで、東京の銀座でばったり再会するまではほんとに疎遠でしたね。
大谷 僕は大学で東京に出て、映画や舞台をよく観に行ってたんですけど、初めてお笑いライブを観た時に感動しちゃって。お笑い芸人が一番いいなと思ってたんですよ。
大地 僕はただ単に地元を出たくて、東京に行きたくて、フリーターしてました。
大谷 それがある時、銀座でばったり再会しまして。大地さん、地元ではカリスマだったんで、もうこれは運命の人だなって(笑)。ダウンタウンさんは浜田(雅功)さんの血液型がAで松本(人志)さんがB。浜田さんが松本さんを芸人の道に誘ってるんですよ。ナインティナインさんは矢部(浩之)さんがA型で岡村(隆史)さんがB型で、矢部さんが誘ってるんですね。「A型がB型を誘ったら売れる法則」があるんですけど、僕がB型で大地さんがA型なんで、なんとか大地さんから誘ってもらうように、吉本の劇場に連れて行ったりして誘導しました(笑)。
大地 「今度オーディションがあるんだよね」って言われたんで、「じゃ、受けてみる?」みたいな(笑)。九州に移籍した時と同じ感じですね。
――それは本当に運命の再会ですね。ところでおふたりとも大分県佐伯市のご出身ですが、地元の思い出というと、どのようなことが思い出されますか?
大谷 大地さんと同じクラスだった中3当時、「スタンド・バイ・ミー」っていう青春映画がはやってたんですよ。4人の少年が歩いて死体を探しに行く物語なんですけど、僕たちも4人組だったので、地元の山に登って朝日を見に行こうって話になりまして。ちなみに大地さんがグループのリーダーで、僕は下っ端でした。
大地 まあまあ当時はね。城山(佐伯市にある標高144mの山。江戸時代初期に山頂に建てられた佐伯城跡の石垣などが残る)っていう山が学校の裏にあるんですよ。
大谷 九州の東の端にある山なんで、九州で一番に昇る朝日を見ようと。夜中の2時ぐらいから登り始めてね。朝日が地平線から昇ってくるのを見てドキドキしたのを覚えてます。
大地 山の上から自分たちが住んでる街を見た時の感動もありましたね。
大谷 そんな風に感動してる時に大地さんお腹痛いって言い出して。それからちょっと見下し始めましたね(笑)。
大地 いやいや、その話はもういいから(笑)。
大谷 話してもその先、大地さんがどういう行動をしたかは書けないから(笑)。
そうそう、佐伯は漁師町なんですけど、僕のおじいちゃんが漁師なんですよ。土日は祖父母の家にいたんですけど、おじいちゃんが漁から帰ってくる頃に、おばあちゃんがカセットコンロと鍋とおむすびを持って港に行くんですよ。そしてその場で、捕れたばかりの新鮮な魚介でおみそ汁を作り出すんですよ。
大地 めちゃくちゃ贅沢だね。
大谷 ほんとに。当時は「ファミリーレストランでハンバーグ食べたい」とか思ってたんですけど、大人になって「なんて贅沢だったんだ」と思いますね。
――それはなんとも贅沢なおみそ汁ですね。新鮮な魚介類の他にも、佐伯市のおすすめグルメを教えてください。
大谷 佐伯ラーメン! 博多ラーメンとも熊本ラーメンとも違う、佐伯独自のにんにくたっぷりラーメンで、僕は宇宙一うまいラーメンだと思ってます。
大地 あれはうまいね。東京でも食べられないしね。
大谷 そうなんですよ。佐伯以外に大分市内でもよく行く佐伯ラーメンのお店があって、大分市で仕事がある時、空き時間に食べに行くと絶対先に大地さんがいますからね。
大地 だいたい僕が先に店に行って食べてますよねー(笑)。
大谷 佐伯市内にはラーメン店密集エリアがあるので、「1軒目はここ、2軒目はここですよ」ってぜひご案内したいです。先ほども言いましたけど、漁師町なんで、自称ですけど「世界一寿司がうまい町」とも言われてますしね。
大地 それから、「やまとや弁当」のからあげね。あれも宇宙一うまい。
大谷 うまいねー。宇宙人が地球を侵略に来た時、なにかうまいものを差し出せば許してくれるんじゃないかと思って、「宇宙人に差し出すリスト」を作ってるんですよ。九州部門で「やまとや弁当」がリストに入ってますねー。
大地 佐伯はもちろん、大分にはうまいものがいっぱいありますからね。
大谷 ロバートの秋山(秋山竜次)が「僕、福岡出身なんで、福岡のものが一番うまいって言ってますけど、ひょっとしたら大分の方が……」って言ってましたからね。まあ、秋山も僕らにその話をしたってことは、この発言が伝わることは重々承知だと思いますよ(笑)。
大地 まあね。福岡もうまいもん多いですけどね。
大谷 もちろん。ホークスが南海ホークスから福岡ダイエーホークスになって、拠点が大阪から福岡に移った時、選手5人が痛風になったって、まことしやかに言われてるぐらいですから(笑)。それぐらい九州には、うま味成分たっぷりの食べ物が多いってことです。
――美味しいご飯には美味しいお酒、ですが、普段はどのようなお酒を飲まれますか?
大谷 実は僕、コロナ禍になってからお酒を飲み始めたんですよ。飲んでみたら意外と酒に強かったですねー。
大地 ほんと、強いですね。
大谷 40歳を過ぎて酒を飲み始めたもんですから、最初は何を飲んだらいいのか分からなかったんですけど、たどりついたのが「いいちこ」ですよ。
僕が尊敬するバンド「bloodthirsty butchers(ブラッドサースティ・ブッチャーズ)」のギタリストの吉村さん(吉村秀樹、2013年逝去)がずっと「いいちこ」を飲んでたんですよ。吉村さんのあだ名が「ジャイアン」なんですけど、僕たちのDJイベント「ジャイアンナイト」はそこからつけてるんです。僕らの初舞台はライブハウス・新宿LOFTのbloodthirsty butchersレコ発ライブの前説でした。僕たちにとっては世界一のバンドで、その吉村さんが「いいちこ」を飲んでいたのが忘れられなくて。「いいちこ」をソーダ割りにしてクエン酸を入れてね。これがうまいんですよね。
大地 僕は最初にビールを飲んでから、「いいちこ」の20度をソーダ割りにして飲む。あとは僕も吉村さんのマネをしてお茶割りにしたりとか。
大谷 お茶割りもいいよね。
大地 実家からかぼすが送られてきた時は、かぼす入りの「いいちこ」ソーダ割り。これはもう最高っすね。
――それでは最後に、ダイノジさんの今後の活動の展望をお聞かせください。
大谷 僕たちにとって漫才もDJも全部一緒なんですよ。目の前の人を喜ばす。ただそれだけなんです。
大地 そうですね。漫才でもコントでもDJでもなんでもいいね。
大谷 大地さんはエアギターで2回、世界一になってますしね。
大地 末端の末端だけどね(笑)。
大谷 それでも世界一は世界一なんで。僕たちが30年近く培ってきたこれらの芸が、佐伯市の、大分県の、九州の活性化に少しでも役に立つことがあるんじゃないかと、そんな気持ちで活動を続けていきたいと思っています。
PROFILE
ダイノジ
大分県佐伯市出身で中学の同級生である大地洋輔(おおち・ようすけ、写真左、1972年7月13日生まれ)と大谷ノブ彦(おおたに・のぶひこ、写真右、1972年6月8日生まれ)によるお笑いコンビ。1994年結成。NHK「爆笑オンエアバトル」(1999~2010年)に初期から出演し、好成績を収めた芸人の称号であるゴールドバトラーに認定。朝日放送「M-1グランプリ」8位(2002年)。フジテレビ「めちゃ×2イケてるッ!」新メンバーオーディション 審査員特別賞(2010年)。日本エアギター選手権 優勝(大地・2006年/2007年)。世界エアギター選手権 優勝(大地・2006年/2007年)。結成から29年となる2023年4月に東京から九州に拠点を移し、福岡よしもと所属となる。「日本一フェスに呼ばれる芸人」と言われるDJダイノジとしても活動し、2024年3月に地元・大分で開催予定の「ジゴロック~大分“地獄極楽”ROCK FESTIVAL~」を発案している。大分県がABEMAと共に企画・制作した “大分の夜の魅力”を発信するプロモーションムービー「MIDNIGHT OITA -ミッドナイトおおいた-」にも出演。