バイオリニスト廣津留 すみれ
――廣津留さんは3歳の時にバイオリンを始めたそうですが、ご両親に勧められたのですか。
幼すぎてそのころのことはほぼ覚えていないのですが、両親は楽器こそ弾きませんが音楽好きなので、おそらく自発的にやるように仕向けてくれたのだと思います。
――バイオリンは指使いもボーイング(弓弾き)も難しいですよね。練習はつらくなかったですか。
つらさはあまり感じませんでした。それよりも好きな曲が弾けるようになるうれしさの方が大きかったですね。というのも私、子どもの頃から結構難しい協奏曲を音楽CDで聴きながら、耳でコピーするみたいな感覚でバイオリンを弾いていたので、いずれこの曲が弾けるんだと思うと練習は苦になりませんでした。
――楽器を専門的に演奏する方は、幼少期から音楽一本に打ち込むことが多いと思うのですが、廣津留さんはバイオリンと勉強を両立されました。どうして両立しようと思ったのですか。
負けず嫌いだからじゃないですかね(笑)。小学校の頃から「バイオリンがあるから勉強はそこそこでいい」という考え方はなくて、絶対両方やると決めていました。例えば小学校の百ます計算も私は100点で1位じゃないと絶対嫌で、「バイオリンをやっていたから90点だった」では自分が許せなかったので(笑)。学業も、バイオリンも、欲張りたい! そんな気持ちでした。
――バイオリンと勉強を両立するためにやっていたメソッドなどはあるのでしょうか。
時間の節約は常に考えていました。前述の百ます計算も、「廣津留」の廣も画数が多くて時間がかかるから、名前はひらがなで書く、といった小さな工夫を積み重ねてスピードを上げたりしていました。ToDoリストも作っていました。小学生の頃から具体的に「算数の宿題をやる」「明日雑巾を持って行く」などを全てToDoリストにしていました。これは今でもやっています。
――ToDoリストは紙ですか。
当時も今も、ずっと紙です。終わったら捨てるのが気持ちいいので(笑)。リストを紙に書いて全部なくなって捨てるまでが1日の流れで、翌日のToDoリストを書いて寝るのが毎日のルーティンです。
――大分の公立高校を卒業した後にアメリカの名門、ハーバード大学に進学されました。どうしてハーバードに行こうと思ったのですか。
理由はいろいろありますが、高校2年生の時、実際にハーバード大学を見学したことが大きかったです。高校1年生の時にバイオリンの国際コンクールでグランプリをいただき、翌年それで全米ツアーをしたのですが、その最後の演奏場所がカーネギーホールだったので、「近いからちょっと見てみようかな」くらいの軽い気持ちで見学に行ってみたんです。そうしたら現地の学生たちの目がキラキラしていて「あ、いいな」と感じました。
ハーバード大学では学業ができるのは当たり前で、それに加えてどんな特技を持っているのかが問われます。これは学業もバイオリンも両方やりたい私にぴったりだと思いました。ただ、最初は入れるなんて全然思わなかったのですが、日本に帰っていろいろ調べたら世界中どこからでも受験できることが分かり、チャレンジすることにしました。
――ハーバード大学に入学して、どんな勉強をされたのですか。
ハーバード大学は学部を選んで受験するのではなく、同一の入試で約1600人が合格します。そして各自が数千もある授業から「好きな科目を受講してください」と言われます。しかも1学期に4つしか取れないんですよ。めちゃくちゃ迷いますよね。それでいろんな授業を取りました。経済学や応用数学も取ったし、社会学も取ったし、科学と料理という授業など、本当にいろんな講義を受講しました。
――料理の授業もあるんですね。
はい。「科学と料理」という授業で、スペインのエル・ブジ*というエスプーマ(泡状のムース)で世界的に有名なレストランのシェフ、フェラン・アドリアさんがゲスト授業をしてくれました。「美の感覚とサイエンスと料理をどう融合させるか」といった講義があり、その後の実習ではオリーブオイルをタピオカみたいな小さい球状にしてみたりと、とても面白い授業でした。私は最終的に音楽とグローバルヘルスの2つを専攻しました。*エル・ブジ(El Bulli):スペインのカタルーニャ州にあった三つ星レストラン。「世界一予約が取れないレストラン」と呼ばれた。2011年閉店。
――大学での日々は楽しかったですか。
とても楽しかったです。ハーバードは学部別にキャンパスが分かれているわけではないし、みんな寮生活で1つの寮に400人ぐらい住んでいて「同じ釜の飯を食う」わけです。食堂に行けば大体知っている顔がいて「今日はどう?」と聞くと「ブラックホールがさあ」みたいな話になって、いつも本当に刺激にあふれていました。
ハーバードの学生は、みんな自分の特技にすごく自信があるので、他人に嫉妬することがありません。私の友人にもフェンシングのアメリカ代表や、コンピューターサイエンスの研究で最先端のチームにいる人、脳科学の研究をしている人など、本当に幅が広かったです。彼らって友達にいいことがあると、自分のこと以上にめちゃくちゃ喜んでくれるんですよね。
「バイオリンで〇〇コンサートに出ることになったよ」と言うと、「マジで! すごいじゃん」という感じ。みんなバイオリンは弾かないけど、自分がそれぞれの分野でトップになるまでに相当の努力を重ねているので、そのすごさが分かるのだと思います。
――素晴らしいですね。もっと海外の大学進学も視野に入れる人が増えるといいですね。
ハーバードに限らず、海外大学の進学は本当にお勧めしたいです。学ぶ分野の選択肢がとても広いのでチャンスがたくさんあるし、演劇やディベートをやっていたり、スポーツの世界で活躍していたりと、学業をこなした上で課外活動に秀でた人がたくさんいるので、いろいろな目線を持つ仲間に出会えるというのは最高です。
学業以外のことは「勉強があるから諦めなきゃ」と思う人もいるかもしれませんが、私は学業以外のことも大事にした方がいいと思います。それが最終的に職業にならなくても、「続ける力」や「チームワークを育む」といったことが養えるのは、学問的知識とは別の意味で重要だと思います。
――ハーバード大学を卒業した後、世界最高の音楽大学の1つ、ジュリアード音楽院に進まれました。それはどうしてですか。
大学3年生の時にハーバード大学の大先輩でもある世界的なチェロ奏者、ヨーヨー・マさんと共演したことが大きいです。正直に言ってそれまでは「バイオリンを弾いて自分が楽しければそれでいい」という気持ちが少しありました。でもヨーヨー・マさんは常に「演奏を通じて社会へ貢献すること」を考えている、ということが、一緒に演奏するだけで伝わってくるんです。演奏することでコミュニティーの人に何が還元できるか、その背景のストーリーまでも考えた上で、演奏することの意味を見出しているんです。しかも、演奏技術に関しては世界最高峰ですから、この人は本当にすごいと思いました。
――ヨーヨー・マさんは世界一のチェロ演奏家であるだけでなく、その先に大きなものを見ているということですか。
そうなんです。ヨーヨー・マさんの音楽は、まるでストーリーテリング(物語り)のようなものです。音楽一つ一つの物語を紡ぐと、それが未来の子どもたちにつながっていく、というところまでを見ているんですね。それを感じた時、初めて私は「自分がバイオリンを弾けるってことは、すごく幸せなことなのかもしれない」と思いました。
ハーバード大学という環境では、自分ほどバイオリンが弾ける人間があまり周りにはいなかったので、それが自分の価値を出せるところだと気づきました。そしてヨーヨー・マさんとの共演がきっかけになって「朝から晩まで音楽漬けの環境に浸ってもっとバイオリンを追求してみたい」と思うようになり、ジュリアード音楽院に進みました。
――進学したジュリアード音楽院はいかがでしたか。
学生同士がとても競争的でした。結構バチバチでしたね(笑)。学生みんなの音楽にかける情熱がすごいので、間違いなくかき立てられるし、もっとうまくなりたい、もっと練習しなきゃとモチベーションも上がります。そして先生方も超ハイレベルで、大分の実家で擦り切れるほど聴いていた音楽CDの演奏家が、同じエレベーターに乗ってきたりするわけです。本当にすごいところに来たな、と思いました。
――ジュリーアード音楽院には廣津留さんから見て、信じられないくらい上手な人っていましたか。
います。で、その人に「どのくらい練習しているの?」 って聞くと、「毎日セントラルパークを歩くようにしているんだよね」とか「美術館には絶対行くよ」って言うんですよ。あのレベルになると、ただ練習室に籠もって楽器を練習し続けるのではなく、アートの感覚を自分の音楽に取り入れてみたり、遊び心を持っていたりするんです。演奏の技術だけではなく、音にいろいろな要素を乗せて届けられる人こそが、本当に楽器が上手い人なのだな、と気づきました。
楽器を自在に弾けるのは演奏家としては当たり前であって、その上で表現者として「何ができるのか」が問われる、ということです。例えば、私は日本ではレッスンで「こう弾きなさい」と先生に言われることが多かったですが、アメリカでは「あなたはどう弾きたいの?」と聞かれます。それまではレッスンで先生から意見を求められることはなかったので、私にはとても新鮮でした。それから「自分はどう弾きたいのか」を主体的に考えるようになりましたね。
――ジュリアード音楽院で学んだことはどんなことでしたか。
クラシックの演奏家でも遊び心が必要だということです。特にアメリカはエンタメの国なので、オーディエンスをどう喜ばせるのか、オーディエンス視点で見てそれは楽しいのか、価値があるのか、といったことを常に考えることが必要だと思います。今は「クラシックだから上手く弾ければいい」という時代ではなく、演奏家も自分の演奏に込めた思いを自分の言葉で語れることが重要です。
昔のジュリアードの卒業リサイタルは、お辞儀をして弾いて、お辞儀して帰るというパターンでしたが、最近は壇上で自己紹介から始まって、「こういう意図でこういうプログラムにしました」などときちんとスピーチすることが必須となりました。時代が変わりゆく中、ニューヨークという激しい環境の中で、音楽を通したプレゼン能力が鍛えられたと思っています。
ハーバード・ジュリアードを 首席卒業した私の 「超・独学術」
著者 廣津留すみれ
定価: 1,540円(本体1,400円+税)
インタビュー前半は、廣津留すみれさんが、ハーバード大学、そしてジュリアード音楽院で学んだことをお話しいただきました。インタビュー後半では音楽家としての活動やデビュー音楽CD「メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲+シャコンヌ」のこと、そして廣津留さんが地元大分で毎夏主催しているサマーセミナー「Summer in JAPAN」について伺います。
後編へ続く
PROFILE
廣津留すみれ(ひろつる・すみれ)
大分市出身のバイオリニスト。12歳で九州交響楽団と共演、高校在学中にNY・カーネギーホールにてソロデビュー。ハーバード大学(学士課程)卒業、ジュリアード音楽院(修士課程)修了。ニューヨークで音楽コンサルティング会社を起業。
高校在学中にイタリアで開かれたIBLA国際音楽コンクールにてグランプリ受賞、翌年全米ツアーに招待される。ハーバード大学在学中に世界的チェリスト、ヨーヨー・マとシルクロード・アンサンブルとの度々の共演を果たしたのを皮切りに、米国にて演奏活動を拡大。UNICEFガライベント等での演奏や、グラミー賞受賞アルバム「Sing Me Home」をフィーチャーしたプレゼンテーションを任されるなど各地で再共演。自身の四重奏団を率いてリンカーン・センターやMoMA近代美術館にて演奏を行うほか、ワシントンDCのケネディセンターにて野平一郎氏と共演。またこれまでに「ファイナル・ファンタジー」シリーズなど名作ゲームの演奏・録音を数々担当。ギル・シャハムとThe Knightsのメンバーとして共演した最新アルバムがグラミー賞2022にノミネート。近年は「奇跡体験!アンビリバボー」(フジテレビ系)、「サンデー・ジャポン」(TBS)、「題名のない音楽会」(テレビ朝日)などのスタジオ演奏でも話題に。