作詞家・エッセイスト吉元 由美
美しい手紙を書く人がいた。母親の介護のために東京から大分に戻ったその人から、何度か手紙をいただいた。手触りのいい便箋に、丁寧に流れるような字で季節の眺めをしたためたその描写には、故郷への慈しみがこもっているようだった。
「近所の道路の片隅に、小さな紫色のすみれが可憐に咲いているのを見かけるようになりました。田には麦が青々と成長し、冷たい風の中で春の訪れを待ちわびているようです」
春の兆しを感じ取り、手に取るように表現する感性は、穏やかな自然に囲まれた故郷で育まれたのかもしれない。大分の旅の計画をしながら、その人の手紙のことを思い出した。
大分の地に着いたとき、なぜか懐かしさが湧き上がった。ほっとするような、抱きとめてもらえたような。それはいわゆるデジャヴュという既視感よりももっと深く、もっと心に寄り添うような。国東(くにさき)半島の海岸沿い、国道213号線を北へ車を走らせながら、故郷に帰ってきたような懐かしさが胸に広がるのを感じていた。
両親は鹿児島、熊本出身。これまで大分県とは縁はなかったのだが、九州の血がそう感じさせるのだろうか。山が連なり、田畑が広がる。黄金色を帯びてきた稲が風にゆらりと揺れる。東京で生まれ育った私には「旅先の光景」であるにもかかわらず、懐かしさに泣きそうになる。空気が、なんともやわらかい。
東京の小学生たちが田植え体験をしたとき、みんなが口にしたのは「なんだか、懐かしい」という感想だった……という記事を読んだことがある。経験した「懐かしさ」ではなく、意識の深いところにある「情」に訴えたものなのだろう。穏やかな山があり、田畑があるという光景は、日本の原風景であり、懐かしいという情の源泉なのかもしれない。
〈吉元由美さんの旅アルバム〉
途中、海を眺めながらおむすびを食べる。ゆるやかに流れる時間が、細胞に滲(し)みていくように過ぎていく。まだ旅は始まったばかり。国東半島は、両子(ふたご)山を中心に和傘を伏せたように放射状に山々が連なっている。尾根と谷と。標高700m前後の山々の谷間に、人々は集落を作り、田畑を作り生活してきた。
また国東半島は、深い信仰によって古い文化が継承されている地でもある。奈良時代から平安時代に創建された、六郷満山(ろくごうまんざん)と呼ばれる28の天台宗の寺をはじめ多くの古刹(こさつ)が散在している。その多くが山寺であり、険しい崖をくり抜いてお堂が建てられるなど、まさに修験道の修行の地であった。長閑(のどか)な海岸線の通りから山へ入っていくと、そこは時が止まったような、いにしえのエネルギーに包まれた地なのだ。
寺でも神社でも、建てる場所には「何か」意味があるに違いない。今、この瞬間もこの場所と、深い叡智(えいち)はつながっているのかもしれない。それを見極めたいにしえの人々は、どんな人たちだったのだろうか。環状列石や神の依代(よりしろ)とされた奇岩が点在しているのも、人々の信仰の篤さを物語っているのだろう。
イギリスのコーンウォール地方にも多くの環状列石や信仰を集めた奇岩がある。通信手段もなかった古代に、遠く離れた地で同じようなかたちで祀りごとをしていた……。人間は時空を超えて意識の底でつながっているのではないか。つながっている意識が選んだそれぞれの場所で神や仏の世界ともつながる不思議。そんなことに思いを馳せていると、しばしぼーっとしてしまう。
半島を北へ、そして姫島へのフェリー乗り場あたりから道は西へ向かう。宇佐の町へ入り、全国の八幡様の総本宮である宇佐神宮へ。いわし雲が赤い鳥居の上に、そっとヴェールをかけるようにたなびいている。千年の時を超えて、この地には神仏習合の文化が受け継がれている。神であれ仏であれ、森羅万象に生かされているという深い意識そのものが信仰なのだと思う。それは「日本が日本である」その証(あかし)なのだ。
この日、湯布院に泊まる。「ゆふいん」という響きのなんと優しいことか。泉質のやわらかさと、穏やかな雰囲気をそのまま表しているような。ここは国東半島とは違うエネルギーに満ちていた。
〈吉元由美さんの旅アルバム〉
「ぶれない」ということが、常に価値を生み出すということ。観光化されたとはいえ、湯布院はそんな気づきを与えてくれた場所だった。それは老舗旅館のもてなしにも現れている。「ぶれない」ことが、老舗たる矜持(きょうじ)でもあるのだろう。たとえば「間合いを読む」というのだろうか。気配り、心遣いがありながら、そっとしてもらえる。その距離感が心地いい。
〈吉元由美さんの旅アルバム〉
もちろん、やわらかい泉質の温泉も、お料理も素晴らしい。凝りすぎず、頑張りすぎず、しかし手をかけて、素材を生かす。料理人の自信がうかがえる。地元で採れた秋茄子、銀杏、栗、鱧(はも)、松茸(まつたけ)、落鮎(おちあゆ)。太刀魚(たちうお)はお刺身で。さっと皮目を炙(あぶ)ってあるのか、ふと香ばしさが立ち上る。そしてロックで、初めて飲むいいちこスペシャルを。ひとり旅は、ついついお酒が進んでしまう。
最後のお皿の豊後牛のステーキは、織部(おりべ)のお皿にクレソンのサラダとともに。大分産の塩とかぼす胡椒でいただく。これが何ともやわらかく、おいしかった。何か特別な下ごしらえをしているのだろうか。そっと噛む……滋味深いやわらかさと甘みが広がる。お肉にも、すっきりとしたいいちこスペシャルがよく合う。山の恵みも、海の恵みも豊かに味わえるのは、日本ならではの贅沢であり、日本料理の質の高さだと思う。
2日目。やまなみハイウェイを走る。湯布院を出発し、森林の中を縫うように走る。運転を楽しむには格好のワインディングロードだ。ただし、雨の日と夜は避けたい道かもしれない。
くじゅう連山を見渡せる朝日台というポイントがある。遠くゆるやかな曲線を描く山並み。眼下には田畑が広がっている。国東半島の山々が持つ緊張感とは違う「気」がある。母なる……そんな言葉が浮かぶ。育む……そんな言葉も浮かぶ。「故郷」の光景である。
正面に細く噴煙を上げる硫黄山を見ながら、しばらく草原の中の直線道路を走る。ドライビング・メディテーション。ふっとおもしろいアイディアが浮かんだり、消えていったり。途中、ひと休みした見晴らしのいい丘で、ボーダーコリーと旅をしている人を見かけた。横浜ナンバーのバンのトランクには、キャンプ道具。横浜から陸路で来たのか、フェリーで来たのか。思いもかけない旅のスタイルに出合うのも、楽しい。
〈吉元由美さんの旅アルバム〉
久住(くじゅう)ワイナリーのレストランで遅い昼食をとった。葉物野菜がおいしい。南瓜(かぼちゃ)のスープもおいしい。明日帰る前に直売所で野菜を買っていこう。直売所、道の駅、これも旅の楽しみのひとつだ。
明るいうちに別府に入るために早々に久住を出発したのだが、ナビが示した別府への道は険しかった。幹線道路だけではない、山道、つづら道、農道のような狭い道をひた走り、いくつもの山を越え、住宅地の中を走り……いま地図で見てもどこを走ったか分からない。それはあたかも現実社会へと戻っていく通過儀礼のようだった。
3日間の走行距離、305km。まだまだ走りたい場所がたくさんある。語りたいことも、まだまだたくさん。そんな思いを積み残したような旅の最後に、恩寵(おんちょう)のような光景を見た。夕刻、飛行機が離陸してほんの30秒くらいのことだった。
国東半島の山々に白く霞がたなびき、その向こうに夕映えが広がっていた。息を呑む。美しすぎる。飛行機は高度を上げていく。美しい光景は、偶然出合うもの。思いがけないからこそ、記憶に深く刻まれる。この光景が、感動の原風景になる。旅の最後に、静かなる神仏の精(しら)げが現れた。あの美しい手紙を書く友人なら、この光景をどんな言葉で綴るだろうか。霞たなびく山々を歩いてみたい。旅の終わりに、新しい旅へと心は逸(はや)るのだ。
PROFILE
吉元由美(よしもと・ゆみ)
作詞家・エッセイスト。東京生まれ。大学卒業後、広告代理店勤務を経て1984年に作詞家デビュー。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の「Jupiter」はミリオンヒットに。エッセイストとしても幅広く活動し、著書に「読むだけでたくさん『奇跡』が起こる本」「ひとり、思いきり泣ける言葉」(以上、三笠書房)、「あなたの毎日が『幸せ』でいっぱいになる本」(PHP研究所)、「みんなつながっている―ジュピターが教えてくれたこと」(小学館)、「凛として立つ」(三空出版)、「こころ歳時記」(ディスカバー21)など多数。