「Bar Goto」「Bar Goto Niban」オーナーバーテンダー後藤 健太
――バーテンダーのお仕事を始めた経緯を教えてください。
1997年にアメリカに来ました。ニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)に通い、2年制の学部を卒業しました。在学中はパタンナー*1の勉強をしていたので、卒業後は服飾関連の就職口はたくさんあったのですが、いただけるお給料では生活できないと思ったんです。このまま日本に帰りたくないという気持ちもあったので、生活のためにバーの世界に飛び込みました。*1 パタンナー:ファッションデザイナーのデザインを型紙(パターン)に起こす専門職。
当時のニューヨークでカクテルを専門にしているバーというのは「Angel's Share(エンジェルズ・シェア)」か「Milk & Honey(ミルク・アンド・ハニー)」ぐらいしかなくて、レストランにバーが付いている業態がほとんどでした。バーテンダーはほとんどがアルバイトでやっているという人で、本業でやっている人は少なかったように記憶しています。
僕もまずは生活費を稼ごうとアルバイトでレストランに併設されているバーでバーテンダーを始めました。素人ながらに一生懸命働いて、バーテンダーって結果が見えやすい仕事だなと思うようになりました。いいサービスをするとお客様も喜んでくださり、その分チップの額も多くなったり。
仕事柄いろんな人に会えるというのも楽しくて。僕のことを多くの方が覚えてくれて、ニューヨークで認められたという個人的な満足感、それがこの仕事を長く続けてこられた初期の理由ですね。ちょうどその頃になるとニューヨークに本業のバーテンダーも増えてきたようです。
本業でバーテンダーをしている方に会ってみると、自分とは全くレベルが違うことに気づかされたんです。例えば週4日くらいお店で働いて、週2日くらい自分でパーティーなどのイベントの仕事を取って来て、華やかな場でカクテルの腕を披露したりしてお金を稼ぐ。こういう世界があるんだなと刺激を受けたことを覚えています。彼らからこれを読むといいよとカクテルの本を教えてもらったりしました。
そこからですね。自分からのめり込むように勉強するようになって、日本でも東京・銀座の「スタア・バー・ギンザ」のオーナーバーテンダー岸久(きし・ひさし)さんや、「テンダー」のオーナーバーテンダー上田和男(うえだ・かずお)さんの本があることに気づいて読み込んだり、あるいはその2人のYouTubeを見たりしてその仕草とか、カクテルのつくり方とか、研究に没頭しました。
2005年の夏に私の人生を変えるきっかけになったバー「Pegu Club」がオープンしました。2006年に一般客として行った時にまさに衝撃を受けたんです。お店の空間からバーテンダーのシェイクの振り方ひとつまで、もちろんカクテルのクオリティも文句なしでした。オーダーしたカクテルはどれも美味しくて、ここで働きたいと強く思いました。
当時、「Pegu Club」と言えばバー業界の中で一番注目の存在で、カクテルと言えば必ず名前が一番先にあがる存在でした。メディアにも多く取り上げられ、飲食業界の人も多く来店するなど、影響力のあるバーでした。
現在、全米のみならず世界の大都市で見かけるカクテルメニューの大半は、いわゆるモダン・クラシックというスタイルです。昔からあるスタンダードなカクテルの形は崩さず、でも現代風に進化させたというスタイルで、これを始めたのが私が大変お世話になったオードリー・サンダースでした。当時は、まだモダン・クラシックという呼び名も付いていませんでしたが、彼女はその草分けのひとりです。
――「Pegu Club」との運命的な出合いですね。
当時の自分は「もしかしたらバーテンダーとして飯を食っていけるかも」と思い始めた頃だったので、ニューヨークでトップを目指すなら自分を成長させる環境に身を置かないといけないと考えていました。
「Pegu Club」で働きたいという思いを抱えつつ、たまたま2006年の終わりにバーテンダー募集のオンライン広告を見つけたんです。その求人広告にはバーの名前が書かれていなかったのですが、これは「Pegu Club」かもしれないとピンときたんです。
応募資料を送ってから3日くらいして、まさしく「Pegu Club」のオーナーバーテンダーのオードリー・サンダースから面接の連絡がメールで来ました。面接に行った時はガチガチでした。その後、抜き打ちの実技試験もあったりして、最終的に「週1でいいなら来ていいよ。それで私がどうやってカクテルをつくるのか、そのプロセスを全て見せて、なぜそうなるのかを説明してあげましょう」と言われました。そうして2007年1月から念願の「Pegu Club」でのキャリアがスタートしました。
襟付きのシャツにネクタイ、ベストがユニフォームだったんですが、それを受け取って初めて袖を通した時、日本選手がメジャーリーグ入団発表の時にユニフォームをスーツの上に着るじゃないですか。勝手にそんな感覚になって、本当にうれしかったです。その後は「Pegu Club」のヘッドバーテンダーにもなり、2013年のクリスマス前までの丸7年働きました。そこから独立し、ビジネスプランを書いて「Bar Goto」開業の準備に入りました。
――どんな部分にこだわってお店を運営していますか。
2015年7月、マンハッタンに「Bar Goto」をオープン、2020年1月にブルックリンに「Bar Goto Niban」をオープンしました。両店ともコンセプトは、ニューヨークと東京を融合させた空間で、アメリカにあるバーに日本のテイストを取り入れています。
また、ウォルナット(くるみ)の木材を使ったバーカウンターと、装飾にはところどころにゴールドを使っている部分も2店に共通しているところですね。「Bar Goto Niban」のカウンターにはゴールドの日本画を贅沢に使い、「Bar Goto」には私の祖母の着物を飾るなど、視覚的にも日本を感じられる演出をしています。
――人気の高いカクテルを教えてください。
お店で提供するカクテルのメニューは3つのセクションに分けています。1つ目が日本で言う酎ハイとかハイボール的な炭酸で割ったロングドリンク系。2つ目がステアするアルコール度数高めのどっしり系。3つ目がシェイクするどちらかと言うと軽め、爽やか系。多く出るのはシェイクのカクテルなんですが、いわゆるお酒好きの方はステアのカクテルがお好きですね。
定番で人気のあるカクテルの中で、日本酒をベースにした「Far East Side」が一番人気ですね。テキーラ、エルダーフラワー・リキュールにしそと柚子(ゆず)を使った爽やかなテイストのカクテルです。
また、最近では健康志向でローアルコールのドリンクを頼む人も増えているので、ハイボール系もよく出ます。ノンアルコールのモクテル*2もオープン当初はありませんでしたが、お酒は飲まないけれどバーの雰囲気を楽しみたいという方もいらっしゃるので、現在ではお出ししています。
10年近く前は女性はウオッカ、男性はウイスキーを頼む人が多かったのですが、最近では男女問わずテキーラやメスカルをオーダーする人が多く、トレンドにもなっています。今までテキーラだとマルガリータだったり、あるいはショットで飲むことが多かったのですが、このところテキーラを使った色々なカクテルが登場して飲み方のバリエーションが増えたことも関係していると思います。*2 モクテル:「Mock(似せた、見せかけの)」と「Cocktail(カクテル)」を合わせた造語。ノンアルコールカクテルの新しい呼び名として使われて始めている。
――ニューヨークのバーは世界的にどんな位置付けなのでしょうか。
東京やロンドン、メルボルンなど、世界の都市のバーもレベルが高いですが、ニューヨークのバーのレベルは間違いなく最も高いと思います。カクテルというもの自体、アメリカから広がったものなので、ニューヨークは昔からお手本にされることも多く、レベルの高いカクテルバーも多いです。
――ニューヨークに暮らす人にとってバーはどんな存在ですか?
仕事の帰りに立ち寄るオアシスで、仲間と語らう場所でもあります。バーテンダーと話してリラックスする人もいますし、お酒の情報を得ようと来る人もいます。日本ではバーに行くのは3次会、4次会だったりしますよね。居酒屋の方が日常的に入りやすいと思いますが、ニューヨークでは「待ち合わせはバーで」と言うことも多く、バーが日常生活の中に浸透しています。社交のために1人でバーに来る人も多いぐらいです。
――アメリカで焼酎の認知度はどの程度ですか。
昔に比べたら焼酎の認知度は高くなっていると実感していますが、日本酒と比べたらまだまだです。日本酒のマーケティングに比べ、焼酎はどこを強みとしてアピールするかが定まっていなかったように思います。
「Japanese Spirits」と言ってもアルコール度数が25度だったりしますよね。世界でスピリッツと言うとアルコール度数は最低40度と認識されているため、アメリカにおいても、まだ焼酎の強みや魅力をきちんとアピールできていないように感じます。
――焼酎の魅力は何だと思いますか。例えば麹を使っていることについてはどうでしょう。
麹を使っているからという理由で焼酎を飲む人はいないと思います。やはり「日本のお酒だから」という理由で飲む人が多い。日本に対する憧れや親しみといったものから焼酎に興味を持ち、そこから麦や米、芋など原材料についての違いを知って、自分に合った銘柄を探していくお客様が多いです。
麹を使っていることによる独特のフレーバーが生きるので、焼酎を飲み始めたお客様たちは最終的にその味が好きになっていくようです。最近は焼酎をカクテルに使う機会も増えてきました。初心者の方でもトライしやすく、焼酎に興味を持つ人が増えていくのではないでしょうか。
また、我々のようなカクテルのつくり手であるバーテンダーの側が気をつけなければいけないことがあります。クラシカルというかスタンダードなカクテルのレシピというのは、40度以上のスピリッツをメインの素材に使っているものが多い。
例えばジンをベースにしたギムレットをつくる場合、40度とか40度以上のジンを使い、それにライムジュースとその酸味とのバランスを取るシロップを加えます。もしそのレシピの分量通りに単純に、ジンを焼酎に入れ替えて「焼酎ギムレット」をつくったらどうなるか。お酒が入っているのか入っていないのか分からない、なんだか物足りないレモネードみたいな味のギムレットになってしまうわけです。
だから、あえて25度の焼酎をメインに使うのであれば、ライムジュースの酸味とシロップの甘さとの三角形のバランス、黄金比を考え直さないといけないですよね。あるいは、焼酎をベースに使いながら、40度前後のスピリッツを隠し味のように入れてみるといった小技もあります。また、ジンを使いライムジュースとシロップを使うとなった時に、今度はどこのタイミングで焼酎を加えるかも考えどころです。
先にジンとライムジュースとシロップだけをシェイクしておいて、その後に焼酎を足すという順序もありだと思います。これによって、もともと低いアルコール度数の焼酎が、シェイクによってさらに度数を下げていくということが避けられる。こういった小技の利かせ方で、アルコール度数の低い焼酎の存在感も高められます。ただ、そこまで考えているバーテンダーはそれほど多くはないとは思いますが。
――最近では各メーカーから40度前後の高アルコール度数の焼酎が登場しています。この流れについてはどう思われますか。
通常のカクテルのつくり方であれば、焼酎は25度というアルコール度数の低さがハンデになることも多いとは思います。だからといって、いきなり40度の焼酎ばかりをバーテンダーに紹介すると、セールス的な部分ではいいかもしれませんが、バーテンダーがカクテルの黄金比であるとか、いい意味での小技を考えなくなってしまうかもしれません。
40度以上のスピリッツに慣れている欧米の人に焼酎を知ってもらうためにはアルコール度数の高い焼酎が増えるという流れはいいことだと思います。しかし、それだけになってしまうとどうでしょう。日本の25度の焼酎も美味しいじゃないですか。25度だからこそ、食中酒として楽しみやすいですし、それが日本の文化です。ですので、アルコール度数の高い焼酎と低い焼酎を、アメリカでは同時に紹介していけたらいいなと思います。
PROFILE
後藤健太(ごとう・けんた)
千葉市出身。ニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)を卒業後バーテンダーの道へ進む。2008年1月からニューヨークの人気バー「Pegu Club」(2020年閉店)に勤務し、2011年7月には世界最大規模のカクテルの祭典「Tales of The Cocktail 2011 Spirited Awards®」にて「American Bartender of the Year(バーテンダー最優秀賞)」を受賞。同賞の受賞は日本人では唯一となる。2015年7月、ニューヨークのローワー・イースト・サイド地区に「Bar Goto」をオープン。2020年1月、ブルックリンに「Bar Goto Niban」をオープンする。実家でお好み焼き店を営んでいたこともあり、「Bar Goto」で出すお好み焼きが人気を呼び、いまでも定番メニューとなっている。