別府大学教授陶山 明子
――応用微生物学、生化学がご専門の陶山先生は、酵母、麹菌、環境微生物学、微生物育種、バイオテクノロジーなどをキーワードに幅広い研究をされてきたとお聞きしています。具体的な研究内容について、また、研究者の道を志したきっかけについても教えてください。
小学1年生の頃に見た植物図鑑に、ユリの品種改良についての解説がありました。ユリのつぼみのおしべを切り取って別のおしべの花粉をつけることで、花の色や形を変えていくというものですが、「面白そうだな、やってみたいな」と思ったのが最初です。その後も実験ができる理科クラブに入ったりしていました。
中学生の頃は宇宙にも興味があったのですが、ブラックホールの本が難し過ぎて。やはり元々興味のあった遺伝子の研究をしようと、九州大学農学部農芸化学科に進学しました。ちょうどバイオテクノロジーが最先端科学と言われ始めた頃でした。
――小学1年生の頃から理科一筋でいらっしゃるんですね。大学時代はどのような研究をされていたのですか。
学部時代から修士課程修了まで、環境汚染物質の微生物分解研究の第一人者である古川謙介先生の発酵化学研究室に所属していました。古川先生のご研究は、化学合成などで生み出される環境汚染物質を微生物の力を使って分解しようというものです。1968年のカネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)*1の原因物質となったポリ塩化ビフェニルも研究対象にされていました。
そこで私は、遺伝子組換えによって細菌の分解力を向上させるための研究をしていました。具体的には、タンパク質分解構造が似ているビフェニル分解菌とトルエン分解菌の遺伝子を組み換え、ビフェニルもトルエンも分解し、さらにトリクロロエチレンも分解することができる、いわば“スーパー酵素”を作り出す研究です。*1 カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん):1968年カネミ倉庫株式会社(福岡県)が製造する食用油にポリ塩化ビフェニル(PCB)などのダイオキシン類が製造過程で混入し、その食用油を摂取した人々やその胎児に障害などが発生した、西日本一帯における食中毒事件。
修士課程修了後は、分析会社に就職しました。そこから元々いた研究室に研究員として出向させてもらい、引き続き、トリクロロエチレンとテトラクロロエチレン分解菌を研究し、博士号を取得しました。ちなみにトリクロロエチレンとテトラクロロエチレンはドライクリーニングの溶剤に使われる物質で、水質汚染の原因になります。環境汚染物質の多くは塩素と結合したもので、塩素を最後まで外さないと安全なものにはならないんです。トリクロロエチレンとテトラクロロエチレンの塩素を外しきると、エチレンになります。エチレンはリンゴが出している物質といえばご存知の方も多いと思います。近くにある他の果物を成熟させる働きがあり、リンゴとバナナを一緒に置いておくとバナナがすぐ黒くなってしまう原因となる物質です。
私は、途中まで塩素を外すことができるデサルフィトバクテウムという脱塩素化菌を5、6年かけて研究していました。菌の中に存在する、塩素を取り外すための酵素や遺伝子を見つけるためです。研究の結果、途中まで塩素を外すことができる酵素を取り出すことに成功し、その遺伝子配列を決定することができました。でも2000年より少し前に、完全に塩素を外すことができる菌が発見され、世界的な科学雑誌「サイエンス」に掲載されました。
――世界が求めていた分解菌の発見まであと一歩、だったのですね。
かもしれませんね。微生物の研究には運も大きく作用しますし、10回のうち9回失敗してもめげない心が必要です。退職後はさまざまな機関で、ノロウイルスの研究、植物からバイオ医薬品を作る研究などを行っていました。
酵母について詳しく研究したのは、バイオマス(植物、農産物、副産物、廃棄物など)を原料に、バイオエタノール、バイオディーゼル、有用化学品を製造する技術・バイオリファイナリーによって、オムツに使用される高分子吸収剤の原料開発に携わっていた時です。そのころは石油由来ではなく植物由来など環境負荷の少ない製品を生み出すためのプロジェクトを経済産業省が行っていました。商品化の話も出たのですが、特許とコスト面であと一歩及ばす、でした。
――さまざまな機関で幅広い研究をされた後、別府大学植物栄養科学部発酵食品学科に赴任されたのですね。
はい。「発酵」とそれをもたらす「微生物」の研究をさまざまに行ってきましたが、「発酵食品」の研究を始めたのは、別府大学の教員になってからです。
――先生のように幅広い研究を行う研究者は数少ないように思います。
そうですね。元々理科の実験が大好きでこの道に進んでいるので、いろんなことをしてみたいですし、それが楽しいんです。大学時代の研究室でさまざまなテーマで研究させていただき、その後も所属機関によって研究テーマを変えてきましたが「発酵、微生物の力で人の役に立つものを生み出したい」という想いは一貫しています。
――「人の役に立つものを」という想いが根底にあってこその研究なのですね。ところで別府大学の食物栄養科学部発酵食品学科は日本でも数少ない醸造発酵専門の学科だそうですが、醸造発酵専門の学科ができたのはなぜなのでしょうか?
大分県は全国でも有数の発酵食品産業が盛んな県です。しかし、大分の大学には農学部がありません。21世紀はバイオの時代であり、バイオを中心とする学科が必要である、と平成18年に「食物バイオ学科」として誕生しました。平成21年度より発酵食品学科に名称変更しました。学生が、醸造発酵の知識と技術を駆使し「食と健康」に役立つ研究や開発・製造に貢献できる人材に育つことを目指しています。
――陶山先生は別府大学に来られてから、具体的にはどのような研究をされているのですか。
私が着任する前から、別府大学と大分県酒造組合が共同で、大分県産の日本酒用酵母を育種しようという研究が行われていました。いくつか探してきた中で、県内のとある酒蔵から採取した「KET002」という酵母は、フルーティーなリンゴのような吟醸香が特徴です。ところが、その酵母で日本酒を造ってみると非常に酸っぱいんですね。せっかくよい香りがするので、その酸っぱさの原因を調べる研究を継続して行っています。
具体的には、日本醸造協会が頒布している酵母菌「きょうかい酵母®」と比較して、遺伝子の違いから酸味を作り出すメカニズムを解明しようとしています。
――フルーティーな吟醸香の大分県産酵母「KET002」。とても魅力的です。その研究は学生と一緒にされているのですか。
はい。私が着任して初の卒業生が、酸味はさておき、先に香りを高めよう、という卒論研究をしました。別府大学には実際に人間が香りを嗅ぎながら香りの成分を分析できる装置があるので、その装置を利用しました。どこにでもあるような装置ではないので、学生にとってもよい研究になったと思います。
――「KET002」の研究は、代々引き継がれているのですね。
そうですね。とはいえ毎年必ず誰かに研究してもらうのではなく、興味がある人がいたら、というスタンスです。学部時代の1年半という貴重な研究期間は、学生にはできるだけ自分が興味のある研究を行ってほしいと思っています。別府大学は酒造免許を取得しているので、実際にお酒を造ることができるのも大きな利点です。
以前、発酵食品学科にいらっしゃった岡本啓湖先生の研究室では、別府大学と大分県および大分農業文化公園との協定で結ばれた学生主体の「別府大学夢米(ゆめ)棚田プロジェクト」で栽培・収穫した香り米(かおりまい)*2を用いた米焼酎の研究をされていました。*2 香り米(かおりまい):お祭りや接待用のお米として日本でも古くから栽培されている。見た目は普通の米と変わらないが炊くと香ばしい香りがする。香り米の稲は吸肥力が強く、棚田などの厳しい環境下での育成に向いている。病害虫や環境変化にも強い。一方、丈が長く倒れやすく、収量が少ないといった短所もある。
販売製造免許のない大学に替わり、製造元として名乗りをあげてくれた県内の酒造会社が造った「本格焼酎 夢香米(ゆめ)」は現在も販売されています。そして、岡本先生の後任の塩屋幸樹先生の研究室が「本格焼酎 夢香米」の改良と製品評価を引き続き行っています。さらに塩屋先生の研究室では大分県内の温泉水を用いた甘酒の商品化にも成功しています。
――別府大学ブランドの焼酎や甘酒がすでに商品化しているのですね!
そうなんです。いずれは私の研究室でも、という想いもあり、大分県特産のかぼすの花の蜜から採取した酵母を使用した日本酒造りにも取り組んでいるのですが、実用化には至っていません。日本酒は味、香りのよさはもちろん、アルコール度数の規定もあるので、なかなか難しいです。
――かぼすの花の酵母から造った日本酒。とても大分県らしいですね。実現するのが楽しみです。
そうですね。大分県は自然が豊かなので、かぼすに限らず、例えば春木川の川縁に咲いている花を摘んできて酵母を採取したりしています。昨年の卒業生は地元で採取した酵母を使ったパン作りにも挑戦していました。
――自然豊かな大分県は微生物の研究にはとてもよい環境なのですね。
はい。なんといっても一番いいのは、温泉があるところですね。温かいところに住む菌は涼しいところに住む菌より過酷な環境にいるため、未開拓な新しい機能を持った菌が発見できる可能性が高いんです。例えば、コロナ禍によって認知されたPCR検査に使われている酵素も超好熱菌です。
PCR検査は簡単に言うと、温度の変化によってDNAを2倍、4倍と指数関数的に増幅させて、ある生物固有の遺伝子を検出する検査法のことですが、90度以上の特殊環境で、ある超好熱菌が発見されたことにより発展しました。先ほどお話ししましたオムツに使用するための高分子吸収剤の原料開発も、ある酵母にさまざまな遺伝子を入れ込んで改造していたのですが、温泉に住んでいた特殊な菌の遺伝子などを使っています。
――温泉地には工業的にも有用な新しい能力をもつ菌が住んでいる可能性が高いのですね。まさに大分は発酵王国ですね。
そのとおりです。さらに大分県内には焼酎、日本酒、味噌(みそ)、醤油(しょうゆ)など発酵食品関係の企業が非常に多いので、発酵食品と発酵食品を作る微生物を研究する上ではとても恵まれています。製造工程や新しい香り・味・機能性を持った商品開発に関する研究は、各企業の研究室の方が優れているので、私たち大学の研究室の役割は、そのような香り・味・機能性を生み出しているメカニズムを調べる基礎研究の部分を担う、といったところです。
――なるほど。ところで、酒造りには酵母菌と麹菌が必要ですが、麹菌についてはある程度、研究が進んでいるのでしょうか。
麹菌がつくり出すさまざまな酵素はお酒造りで重要な働きをする訳ですが、どういった段階や温度でその酵素を出すのか、またそのスイッチは何なのか、といった研究も盛んに行われています。酵母菌、麹菌ともにそのメカニズムが解明できれば「ここを変えれば美味しくなる」という応用ができます。その他にもまだまだ分からないことがたくさんあります。近年のバイオテクノロジー技術の発展で、麹菌のゲノム解析が進み、今まで知られていなかった機能が見つかってきています。これらの成果を産業に利用していくためにも私たち大学の研究室は、まずは基礎研究の部分を担うべきだと思っています。
――学外を含め、先生ご自身の今後のご予定についてはいかがですか。
詳しいことはまだ言えませんが、酵母の研究をしています。そしてテトラクロロエチレン分解菌の研究については普遍的に使える遺伝子組換えツールの開発を行っています。個人的な研究についてはその2大柱ですね。
学外の活動では、大分県が開設している「体験型子ども科学館O-Labo」という施設があって、別府大学の教員も多数協力しています。そこで私は、パン作りに使うドライイーストの発酵実験や、牛乳から生分解性プラスチックを作る実験などの講座を担当しています。最近、子どもの実験離れということをよく言われますが、私自身が子どもの頃、理科教室に通ってとても楽しかったので、化学式を覚えたりする、それ以前に「理科の実験ってとても面白いんだよ」ということを伝えていきたいですね。
そこに来てくれた子どもたちが、別府大学に進学してくれたらもちろんうれしいのですが、そうでなくても、それぞれの進学先で研究したり、研究者にならなくても企業で開発に携わったり、そういうきっかけ作りをしていきたいなと思っています。
PROFILE
陶山明子(すやま・あきこ)
別府大学 食物栄養科学部発酵食品学科 学科長
九州大学農学部農芸化学科から同大学院農学研究院農芸化学専攻(発酵化学)修士課程へ。広島の分析会社に就職し、九州大学農学部の大学院に出向、博士号を取得する。2017年、別府大学食物栄養科学部発酵食品学科に准教授として着任。2020年、同教授(現職)。