小泉武夫「発酵微生物は休みもなしに黙々と働く。発酵は力なり」

もっと語ろう麹と発酵 Vol.01【後編】発酵微生物は休みもなしに黙々と働く。
発酵は力なり

東京農業大学名誉教授小泉 武夫

聞き手:作家・ライター 藤田 千恵子

言わずと知れた我が国の発酵学の第一人者である小泉武夫先生と、酒造りに関して健筆をふるう実力派ライターの藤田千恵子氏との対談「もっと語ろう麹と発酵」、後編では「発酵は人類を救う」と語る小泉先生に、日本の「国菌」である麹について、さらに発酵の未来について伺いました。 前編はこちら 写真:三井公一

旅には乾燥納豆を携帯

藤田
先生は発酵学の道を歩まれて半世紀以上になられるそうですね。
小泉
77歳になる今もあちこちで発酵の実学を教えていられるのは楽しいですよ。
藤田
ずっとお元気に世界各地を駆け回っておられて、素晴らしいです。発酵食品が人の身体にとても良いことをご自身で証明されておられますが、旅には乾燥納豆を携帯されるそうですね。
小泉
世界中を歩いてきましたが、いつも乾燥納豆を持っていました。納豆菌というのは、ものすごく強いですからね。
(左)東京農業大学名誉教授 小泉武夫先生(右)フードライター・作家 藤田千恵子さん
藤田
沸騰させても死滅しないそうですね。
小泉
そう! みんな驚くけどね。納豆菌は煮沸(しゃふつ)しても死なない不思議な生き物です。菌が死ぬということは、たんぱく質が変性するということです。けれど、納豆菌の表面のたんぱく質は熱で変性しても胞子は熱でもやられない。だから、そのまま生きている。「超能力微生物」(文春新書、2017年)という本にも書いたのですが、とにかく微生物というのは強くて、その中でも特に発酵微生物は強い。普通の菌は食塩の力でほとんど死滅します。だから食物を塩蔵して保存するわけですよね。でも塩分が15%くらいある味噌・醤油を造る際には、強い耐塩性を持つ「好塩菌」が活動するんですよ。彼らは、塩の力にもめげずに発酵を続けます。
藤田
そんなに強い菌によって醸された調味料が、ごく普通に毎日の食卓にのる。日本人の食卓は、本当に健やかなものですね。

注目しているのは、発酵食品の持つ免疫力

小泉
そう思います。日本人はどちらかというと粗食民族でした。そんな日本人が、日の出を待って田んぼに行ったり、山仕事に行ったり魚を獲りに舟に乗ったりして重労働をすることができたのは、スタミナ源として発酵した大豆があったからです。それがすなわち、納豆であり味噌であり醤油だったわけですね。
藤田
毎日摂り続けたら免疫力も上がりそうですね。
小泉
そうです。今、私が注目しているのは、発酵食品の持つ免疫力がどれくらい高いかということなんですよ。発酵食品の健康性はいろいろなところで言われていて、人の免疫力を高めるというデータも出ています。私は2020年の春まで広島大学の客員教授をしていましたが、同大学の渡邊敦光名誉教授は味噌の免疫効能を発表して世界的な注目を集めています。
藤田
発酵食品による健康性ということでは、甘酒も定着しましたね。先生が甘酒の効能を説明する際に使われた「甘酒は飲む点滴」という言葉にはすごく説得力がありました。医療の現場でも、甘酒に興味を持つ医者も出てきましたね。

甘酒や味噌おむすびは日本の素晴らしいファストフード

小泉
増えました。医者の中には、発酵食品と免疫の関係を勉強したいという方もいてね。
藤田
素晴らしいですね。病院で入院患者さんが甘酒を飲めるようになったらいいですね。何年か前にブームになった塩麹も定着しましたね。
小泉
そうでしたね。私は麹で仕込んだ鮭の醤油造りを指導したこともあるんですよ。これからもう1度、麹の時代というのが来るんじゃないですかね。麹にはものすごく力がありますから。
藤田
ファストフードというとハンバーガーを思い浮かべる人も多いかもしれませんが、甘酒や味噌のおむすびなどは日本の素晴らしいファストフードですね。
小泉
日本以外の発酵食品を見てみても、韓国ではキムチの免疫効果が非常に高いといわれていますし、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマーなど東南アジアの人たちも免疫力の高い発酵食品を食べていますね。面白いことに東南アジアに生息しているのはクモノスカビ。日本にだけコウジカビ、麹菌が生息しているんです。
小泉武夫先生(東京農業大学名誉教授)

「国菌」が存在するのは日本だけ

藤田
先生ご自身も酒蔵のお生まれですから、生家でも進学先の東京農業大学の農学部醸造学科(現在の応用生物科学部醸造科学科)でも、常に麹菌に囲まれて過ごされてきたわけですね。
小泉
どの国にも国の花や国の鳥はありますが、国菌というのは日本だけですね。麹菌には2種類ありまして、1つは味噌、醤油、味醂(みりん)、日本酒、米酢、甘酒などを造る黄麹菌。アスペルギルス・オリゼーです。オリゼーというのは米のことで、米に生えるカビのことなんですね。もう1つは黒麹菌。これは焼酎や泡盛(あわもり)を造ります。黒麹菌は沖縄にしか生息していないので、国際微生物連盟はアスペルギルス・リューキューエンシスと命名しました。
麹、酵母
藤田
お聞きしていると、日本の食文化も酒文化も大半は麹菌からの恩恵を受けたものですね。
小泉
そう考えると麹菌とはありがたいものですね。日本は環境的に米の国ですが、麹菌がものすごくたくさんいるから、米を蒸したものにはカビしかこない。神棚にお餅をあげれば全面カビますね。乳酸菌も酵母もこないで、カビだけ。だから日本は麹の国なんです。
麹の語源がまた面白い。713年頃に成立した「播磨国風土記(はりまのくにふどき)」には、神様に蒸した御飯を捧げたという記述があります。その御飯にカビがついたものを「カビ立(たち)」という。それが語源変化して、かぴたち→かむたち→かむち→かうちになって、今はこうじになった。だから、麹の古語は、「かびたち」なんです。それから、麹という字を解説しておきますと、麦へんに菊の麹。これは、中国の漢字で相当古い字です。一方で、米へんに花と書く糀という字があるでしょう。これは日本人が作った国字です。糀という字は、米に花が咲いたみたいでしょう。

麹菌を使った日本の酒を世界遺産へ

藤田
確かに白い花がふんわりと咲いたようですね。
小泉
日本人の感性は、とてもきれいだなあと思います。日本の糀は、米にカビが生えるのだから、国字のほうが正しいと思いますよ。麹とは何かと定義すると、穀物にカビが増えることを麹というわけです。だから台湾、中国、韓国、東南アジアにも麹はある。しかし、日本だけが米に麹菌を繁殖させた米麹を使って、外国にはないお酒の造り方をしている。ということで、現在、私が座長となって、麹菌を使った日本酒、焼酎、泡盛、味醂といった日本の酒を世界遺産に登録しようという動きも進めているんですよ。世界遺産への登録にあたっては、漢字は使わず「こうじ」とひらがなに開いて表現しています。
藤田
国の菌が、世界遺産に!
小泉
そうです。すでに菅義偉元総理大臣が「こうじ菌による酒造りを世界遺産に登録します」と国会で表明しましたから、このプロジェクトはこれから優先的に進んでいくでしょう。
藤田
コロナ禍で大変だったお酒の業界が活気づきますね。先生のお話をお聞きしていると、八方塞がりのように感じていた状況にも希望が湧いてきます。以前も「発酵は人類を救う」と説き、「IT革命よりもFT(Fermentation=発酵)革命」だとお話されていました。
東京農業大学名誉教授 小泉武夫先生

人間が解決できない問題を発酵で解決する「FT革命」

小泉
そうそう(笑)。21世紀に入って人間が解決できない問題を発酵で解決しようというのが、私の提案したFT革命ですね。FT革命には4つの柱があって、1つは医療と健康。まだ癌の特効薬とかウイルス疾患に効く特効薬ってないでしょう。それを発酵で造れないものかと。2つ目は環境問題。つまり生ゴミなんて燃やさないで、発酵させて土にしなさいと。それから3つ目は食糧問題。どんどん地球の人口が増えて食べ物がなくなってきている。だから発酵によって食べ物を造ろうじゃないかと。これはもうかなり進んでいて、アンモニアから人造肉ができたりしていますよ。
藤田
え、アンモニアからですか。
小泉
そう、アンモニアとか尿素とか無機物でアミノ酸発酵を起こす。発酵で作り得ないアミノ酸はないですから。アミノ酸が集合してたんぱく質になれば、肉の主成分になります。それにイノシン酸発酵でイノシン酸をつけていけば肉になっちゃう。食糧を発酵でつくるのです。
最後はエネルギー問題。無公害エネルギーを発酵でつくります。すでにこれはメタン発酵とかバイオマスとかで始まっていますが、私の提案は水素細菌を用いたエネルギー生産です。水はH2Oだから、水素細菌がそれを分解するとH2+Oになる。水素細菌は酸素が必要であって水素は必要でないから菌体の外に出す。それを集めて火をつける。するとH2に火をつけると+Oだから、巨大なエネルギーで反応したものはH2Oすなわち水になります。水と水素細菌でエネルギーをつくる、そういう研究が今かなり進んでいるんですよ。この間、NHKの「視点・論点」という番組で、私もこの話を解説しましたが、非常に反響が大きかったですよ。
藤田
今、環境問題も含め、さまざまな行き詰まり感がある中で、気持ちが明るくなるお話ですね。
小泉
微生物は休みもなしに黙々と働きますからね。発酵微生物を使うと、本当に楽ですよ。発酵は力なり、ですからね。

前編はこちら
小泉武夫(こいずみ・たけお)

PROFILE

小泉武夫(こいずみ・たけお)

1943(昭和18)年、福島県の酒造家に生まれる。東京農業大学名誉教授。農学博士。発酵学者、食文化論者、文筆家。専門は食文化論、発酵学、醸造学。現在、鹿児島大学、福島大学、別府大学、石川県立大、島根県立大学ほかの客員教授を務める。著書は「食あれば楽あり」(日本経済新聞社)、「発酵食品礼讃」(文春新書)、「食と日本人の知恵」(岩波現代文庫)、「食の世界遺産」(講談社)、「FT革命―発酵技術が人類を救う」(東洋経済新報社)など多数。単著だけで150冊にのぼる。また、特定非営利活動法人発酵文化推進機構理事長、発酵のまちづくり全国ネットワーク協議会会長、「和食」文化保護・継承国民会議委員(農水省大臣官房)などでも活躍。食に関わる様々な活動を展開し、発酵の魅力を広く伝えている。

藤田千恵子(ふじた・ちえこ)

PROFILE

藤田千恵子(ふじた・ちえこ)

ライター、作家。酒と醗酵食を中心に日本の食と生産者を捉えた数々のフードライティングを発表。著書に「日本の大吟醸100」「杜氏という仕事」(ともに新潮社)、「これさえあれば―極上の調味料を求めて」(文藝春秋)、「美酒の設計」(マガジンハウス)など。現在、雑誌「あまから手帖」に「地酒の星」、「住む」に「蔵のたからもの」連載中。2004年より長野県原産地呼称管理制度日本酒官能審査員。日本の醗酵食品と日本酒を共に味わう「醗酵リンク」主宰。