〈ウォーキングモデルコース〉
距離:約6km
所要時間:約1時間40分
大分県と熊本県にまたがる「阿蘇くじゅう国立公園」の一角にある、竹田市の久住高原を歩く。往路は主に緩やかな上り、復路は下りで、ともに国道 442 号に沿って整備された遊歩道を利用する。コースのほとんどが舗装道路で、難所はないが、国道を歩く箇所では車通りが多く側道が狭いので、注意が必要だ。視界の開ける場所ではくじゅう連山(往路は進行方向の正面から右手)、阿蘇山(同左)、祖母山(同後方)が常に見えている。雄大な景色と高原の風が心地良く、復路では松並木に江戸時代の街道の風情を感じることもできる。
大分県の玖珠(くす)郡九重(ここのえ)町から、竹田市北部の久住(くじゅう)地域にかけて、標高1700m級の山々が連なる、「九州の屋根」くじゅう連山。その裾野に広がる久住高原は、大分県と熊本県にまたがる「阿蘇くじゅう国立公園」*1の一角にあり、北にはくじゅう連山、南には宮崎との県境に位置する祖母山、西には熊本県の阿蘇山という、3つの名山を望む広大なパノラマと、草原の四季折々の風景を擁する高原リゾートとして知られ、与謝野鉄幹・晶子夫妻、北原白秋、川端康成といった多くの文人も魅了してきた。*1 阿蘇くじゅう国立公園:大分県のくじゅう連山と由布岳、鶴見岳、熊本県の阿蘇山からなる火山群と、その周囲に広がる雄大な草原景観が特徴的な国立公園。放牧や野焼きによって生態系が維持され、四季折々の自然の姿を楽しむことができる。
高原を通る国道442号に沿った往復約6kmが、「久住高原・北瀧ロマン街道」として「美しい日本の歩きたくなるみち500選」*2に選定されている。古くは江戸時代、久住と熊本の小国(おぐに)を通り、幕府の直轄地=天領であった日田(ひた。現在の大分県日田市)とを結ぶ小国往還(日田往還とも)という交通の要衝だった。今回はこの「500選」のコースの周りに整備された遊歩道を中心に歩く。*2 美しい日本の歩きたくなるみち500選:2004年、一般社団法人日本ウオーキング協会が国土交通省などの後援のもと、全国から選定したコース。日本の美しい四季と景観、地域の観光資源、歴史資源、文化遺産、食の道などを訪ね歩くことを目的とする。Webサイト「美しい日本の歩きたくなるみち500選」
竹田の中心市街地から車で30分ほどのところにあるレストラン・星ふる館(ほしふるやかた、①)の脇には、広い駐車場があり、トイレも利用できるため、ここを起点とする。山々の景色を楽しみながら準備運動をして、ウォーキングに臨もう。
駐車場を背にして左に、国道442号を歩き始める。歩き始めてすぐ先の右手に、「久住山巻狩の歴史」と書かれた石碑がある(②)。これを目印に、国道から右へ外れて草の生えた遊歩道へと入っていく。時折吹く心地よい高原のそよ風を感じながら、並木の木陰を歩こう。
並木道を抜けると、徐々に景色が開けてきて、正面にくじゅう連山が見えてくる。歩を進めるごとに山並みが迫ってくるような迫力が感じられるビューポイントだ(③)。並走する国道との高低差が開けて、左手には阿蘇の山並み、後方には祖母山(標高1756m)を望むこともできる。
突き当たりの三叉路を左に曲がり、久住ワイナリーとそのブドウ畑を右手に眺めながら進む。左には乗馬体験ができるレジャー施設も見えてくる。ワイナリーの入り口を過ぎて500mほど道なりに行けば、再び国道442号に合流する。十字の交差点だが信号機がないので、車に気をつけながら右折する。
古くから、久住高原では春先になると「野焼き」が行われる。草原の枯草などに火をつけて一帯を焼くことで、後から元気な草の新芽が生えてくるのを促し、灌木が茂るのを防いで、美しい高原の風景を保つ。害虫を駆除する役割も果たすので、牛の放牧にも良い効果をもたらす。こうした営みにより、久住高原には貴重な植物が多く生息し、四季折々の風景を楽しむことができるのである。
この美しい草原と山々の風景に魅了された歌人の一人、北原白秋が1928(昭和3)年の夏にこの地を訪れた際に詠んだ歌が、石碑に刻まれ残されている。先ほどの十字路から西へ100m足らず歩いた右手に、細い坂道があり、これを上っていくと、高台の広場に出る(④)。くじゅう連山をバックに歌碑がそびえ立っており、それを囲むように休憩用のベンチが並んでいる。振り返れば阿蘇山に祖母山、また先ほど横目に歩いてきたブドウ畑を見渡すことができる。
国道に戻り、再び西へ進むと、今度は左側にモニュメント広場がある(⑤)。大分市から竹田を経由して福岡県大川市までを結ぶ国道442号は、大川市に隣接する柳川市出身の北原白秋と、竹田市ゆかりの音楽家である瀧廉太郎にちなんで「北滝ロマン道路」と愛称が付けられている。ぜひ立ち寄って、モニュメントに刻まれた、このコースの名称にもなっている道の由来を確かめていこう。
ここから2km弱、国道442号を歩く(⑥)。車通りは多いが、側道が狭いので、十分に注意したい。久住高原ホテルの入り口まで来たら折り返しだ(⑦)。
久住高原ホテルの入り口前で折り返し、300mほど戻った右手に、国道442号に沿って整備された遊歩道への入り口がある(⑧)。復路はこの道を歩いていく。おもむきのある木で設えられたアーチ橋で赤川を渡り(⑨)、屋根のついた休憩所を右手に見て進むと「松並木・歴史の道」と記された看板が立っている。
江戸時代、肥後藩は肥後国(現在の熊本県)を主な所領としていたのだが、肥後藩の大名が参勤交代で通る、肥後街道沿いの宿場町であった鶴崎(つるさき)、野津原(のつはる)、そして久住は、豊後国(現在の大分県)の中にありながら肥後藩の飛び地とされた。天領日田へと向かう小国往還には、江戸時代、肥後藩主である細川氏に仕えた松山権兵衛が、街道の景観を引き立たせるために松を植樹したと言われており、1961(昭和36)年には久住町(現在は竹田市)指定の名勝となった。指定当時は樹齢100年以上の松が442本もあったという。
現在では400本とはいかないが、見事な松の木が遊歩道沿いに並び、100年を超える歴史を偲ばせる。左手にはくじゅう連山、右には木々の隙間から草原と阿蘇の山並みが見え隠れする。
1.5kmほど歩くと、くじゅう花公園の前に着く(⑪)。園内への入場は有料だが、入園ゲートの外側にお土産物の売店と飲み物の自販機、トイレがあるので、休憩に立ち寄るのもよい(12~2月の休園期間は閉鎖)。
花公園を後にし、右手に広大なキャンプリゾートを見ながら1kmほど進むと、カーブを曲がった先、正面に祖母山が壮大な山影を見せてくれる(⑫)。コース終盤のドラマチックな展開に、疲れも吹き飛ぶことだろう。
右手に整備された芝生の道が見えてきたら、まもなく星ふる館だ。星ふる館の裏手に広がるこの芝生の広場は、久住高原クロスカントリーコース、通称は「日本一のマラソン練習コース」。標高760mの冷涼な気候と、高低差65mという起伏で、身体に程よい負荷をかけて効果的なトレーニングを行うことができる。500m、900m、2km、2.5km、3kmと5種類のコースがあるので、歩き足りなければオプションでここを歩くのもいい。ただし、ランナーの邪魔にならないように要注意。
歩き終わった後のおすすめが、星ふる館から国道を挟んで北西側にある「久住高原菓房いずみや」の自家製ソフトクリーム。コーンも自家製で、ごまを練り込んだ生地をその場で焼き上げる。高原の風を浴びながらクールダウンしよう。
久住高原にはたくさんの歌碑が置かれている。星ふる館の駐車場周りには、与謝野鉄幹と与謝野晶子の夫妻それぞれ2基ずつ、計4基の歌碑が立つ(鉄幹は本名の「寛」と彫られている)。夫妻は1932(昭和7)年8月、鉄幹門下で久住町出身の後藤是山(ごとう・ぜざん)の案内で久住高原を訪れ、山と高原を題材に多くの歌を詠んだ。後藤是山は元新聞記者で俳誌の主宰や郷土史研究を行い、歌人としても活動した文化人。くじゅう花公園の南東、Cafe BoiBoi(カフェ・ボイボイ)というレストランの近くには、後藤是山の歌碑も立てられている。
北原白秋は、1928(昭和3)年8月、別府の亀の井ホテル社長・油屋熊八の案内で、妻子とともに久住高原を訪れている。最も眺めが良いと言われていた高台からのくじゅう・祖母・阿蘇の山並みに目を見張り、久住高原は「九州の軽井沢とも云いますが、実際はそれ以上です。又、富士でもこのような光景はとても見られません」と感想を述べたという。
また、明治~昭和期の思想家・徳富蘇峰(とくとみ・そほう)も、昭和初期に久住高原を訪れ、漢詩を残した。白秋の歌碑が立つ高台のふもとに、蘇峰の漢詩碑もある。
他にも多くの文人・芸術家が久住高原に魅了され、作品を生み落とした。戦後には川端康成が取材で久住高原を訪れ、未完の小説「波千鳥」の題材にしたといわれている。
各所に置かれた石碑を見つけては、先人たちの見た景色と重ねて感慨に浸るのも、このコースの楽しみ方のひとつだ。
大分県の道は、自然が豊かなのも魅力のひとつですが、そうした場所に寺社仏閣や歴史的ないわれのあるものが点在していて、それを楽しみに歩く人も多いです。久住高原は、まさにそのように自然と歴史を楽しめるので人気です。
竹田・大野ウォーキング協会では、毎年7月の梅雨が明ける頃に「久住高原そよ風ウォーク」というイベントを開催しており、通算20回を超える人気の恒例行事になっています。今回ご紹介した松並木の遊歩道もコースに含まれます。
7月はまだ日差しが厳しくて暑いですが、少しずつ風が涼しくなってきて、お盆が明けるとだんだんと高原のおもむきが出てきます。いちばん気持ちいい季節は秋ですね。9月頃からすすきの穂が顔を見せ、10月には天気も安定してきて、山が色づいてくる。紅葉の見ごろは10月、11月です。
冬はやっぱり冷えます。午前中には解けてなくなるような雪だけど、降る時には毎朝、辺り一面が白くなります。白い山並みは綺麗ですが、積もると固まって滑るので、ウォーキングの際は要注意です。
このコースで私がいちばん好きなポイントは、復路の松並木(⑩)です。松の大木の枝ぶりが気に入っています。風が強い中で、自分から傾くように育っていって、100年経つと自然にこんな形になるんだなと。よくあそこまで育ったなという感じ。そうした大木が並ぶ雰囲気が好きです。くじゅう花公園(⑪)を過ぎて、さらにその先のレストラン・Cafe BoiBoiの脇を過ぎた辺りで、右手が開けて阿蘇山の遠景が見えるんですが、松並木と阿蘇山の組み合わせが綺麗です。
私は若い頃からほとんど運動をしていなかったのですが、仕事を引退すると、体を動かすこともなくなるし、健康に気をつけようと思い、10年ほど前からウォーキングを始めました。足腰を使おうと意識して歩きます。爽快感もありますし、難しいことを考えずに運動自体を楽しんでいます。
人に会えるのもウォーキングの楽しみのひとつですね。だからコロナ禍の時は困りました。私もそうでしたけど、会員のみなさんは大会が開かれるのを待っているんですよね。80歳前後の人が多いんですが、みなさんと一緒に元気に歩くのは楽しいです。
PROFILE
森敏信(もり・としのぶ)
1952年、久住町(現竹田市)生まれ。仕事で数年間、市外に出たのを除いて、生まれてから竹田市暮らし。仕事を引退した後、先輩で竹田・大野ウォーキング協会現会長の髙瀨義英さんに誘われ、ウォーキング大会に参加するように。ウォーキング歴は約10年。