〈ウォーキングモデルコース〉
距離:約9km
所要時間:約2時間30分
杵築城を東端として広がる、江戸時代の面影を残す城下町を歩くコース。武家屋敷が並ぶ南北の台地をそれぞれ南台、北台、それらに挟まれ商店が並ぶ谷あいの通りを商人の町と呼ぶ。町の南西側から南台、北台の順に散策しながら、杵築城を目指す。トイレや休憩所は充実しているが、坂道を何度も上り下りするので、無理をせずゆっくり進みたい。事前のストレッチとエネルギー補給は入念に。
国東(くにさき)半島の南部に位置する杵築(きつき)市。カブトガニの生息地として知られる守江湾(もりえわん)に流れ出る八坂川(やさかがわ)の河口沿いにある杵築城は、室町時代、木付(きつき)氏によって築かれた城である。築城時は「木付城」という名だったが、その後城主が代わり、江戸時代、幕府からの朱印状に誤って「杵築」と書かれたことから、「杵築城」となり、現在の地名もこの字を採っている。
江戸時代の武家住宅が多く残る西側の城下町エリアは、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定されている。東西にのびる谷によって南北に分断される台地の北側を北台、南側を南台と呼び、台地には武家、谷には商人が住んだ。
今回は城下町のメインエリアから西へ1.5kmほど離れた、杵築市総合運動公園を起終点とした(①)。体育館、トラック、テニスコートなどがある運動施設で、体育館のトイレと陸上競技場の前にある広い駐車場が利用できる。ここから準備運動をして歩き始めよう。
なお、2004年に選定された「美しい日本の歩きたくなるみち500選」*では、城下町散策に加えて八坂川の対岸を通るコースが選ばれているが、今回は城下町の見どころをより多く楽しめるよう、川の北側のみを歩くコースを採った。*美しい日本の歩きたくなるみち500選:2004年、一般社団法人日本ウオーキング協会が国土交通省などの後援のもと、全国から選定したコース。日本の美しい四季と景観、地域の観光資源、歴史資源、文化遺産、食の道などを訪ね歩くことを目的とする。
準備運動を済ませたら、陸上競技場のトラックを左手に見て、駐車場を突き当たりまで進んで右折、その先の突き当りを左に折れる。前後左右を囲むのどかな景色は、春から秋にかけては稲作が行われる水田、冬から春先にかけては麦畑と、季節によって表情を変える。温暖な気候が二毛作を可能にする、大分ならではの情景を堪能しよう(②)。
2kmほど歩くと、いよいよ城下町エリアに入っていく。杵築市役所、郵便局、きつき城下町資料館への案内板が目印だ。ここを左折すると上り坂が現れる。
およそ500mの間に長昌寺、安住寺、妙徳寺、正覚寺、養徳寺と5つの寺院が並ぶこの坂道は寺町と呼ばれる(③)。歴史を感じさせる白壁の土塀が道沿いにのび、ここまで歩いてきた生活道路からは、がらっと雰囲気が変わる。
坂を登り切った角に立つ杵築カトリック教会を左手に、交差点を右折すると、南台武家屋敷(裏丁)に入る(④)。高い石垣の上に土壁や長屋門が並び、南台で最も武家屋敷の面影を残すエリアだ。
次の丁字路を右折して1つ南側の道に移り、南台武家屋敷(本丁)を抜ける。正面の高い石垣に沿って坂を上っていくと、右手に一松(ひとつまつ)邸、左手に展望台(⑤)がある。展望台からは、杵築城の天守閣の向こうに広がる守江湾の絶景を見晴らすことができる。あずまやがあり、座ることもできるので、景色を楽しみながらしばし休憩しよう。
続いて、このコースの目玉のひとつである志保屋(しおや)の坂・酢屋(すや)の坂(⑥)に差し掛かる。
南側の志保屋の坂から下りきった先、道を挟んで一直線上に、北台へと上る酢屋の坂が続く。酢屋の坂の上からも同様に、反対側の志保屋の坂を見通すことができ、東西にのびる商人の町を挟んで南北それぞれの台地に武家屋敷が軒を連ねる「サンドイッチ型城下町」を象徴する、圧巻の眺望である。
江戸時代の豪商・塩屋長右衛門が、商人の町から南台への坂の下で営んだ酒屋「志保屋」と、志保屋の繁盛ののちさらに北台側の坂下に開店した酢屋が、この2つの坂の名の由来(志保屋の坂は「塩屋の坂」とも表記される)。今回のコースでは南側の志保屋の坂を下り、北側の酢屋の坂を上るが、酢屋の坂を上りきったところで、ぜひ振り返って反対側からの眺めも楽しんでほしい。
酢屋の坂を半分ほど上った辺りには休憩所があり、また上りきった所にもベンチが置かれている。長い坂道なので、無理をせず景色を楽しみながらゆっくり上ろう。
あがった息を整えたら、右折して北台武家屋敷の通りを進む。左右を土壁に挟まれた通りは、車が通れないため静かで、南台とはまた違った趣だ。
右手側に3軒連なる武家屋敷のうち、手前の大原邸、奥の磯矢邸は有料で邸内、庭園を見学することができ、真ん中の能見邸は、柱や壁土を利用して改装されて甘味喫茶として営業している。通りの左手は藩校の門。学習館という江戸時代の学校の門がそのまま残り、門の中の敷地には藩校のジオラマが展示されている。
緩やかな下り坂の武家屋敷通りを抜けて、磯矢邸の門を通り過ぎると、石畳の道になり、勘定場の坂を下る(⑦)。坂の石段は、お城勤めの家老たちを運ぶ馬や籠担ぎの歩幅を考慮して造られたものだという。上から数えて24段目には、富士山の形をした石が埋め込まれており、「西(二四)の富士」と呼ばれている。江戸時代の職人の遊び心を見つけるのも、城下町の粋な楽しみ方のひとつだ。
城下町東端の高台にそびえる杵築城(⑧)。現在立っているのは模擬天守だが、坂の城下町のランドマークとして堂々とたたずんでいる。かつての石垣などが残っていることから、2020年に国の史跡に指定された。
城の入り口から天守閣までは600mほど坂を上るが、道中は城山公園という公園になっていて、駐車場、公衆トイレもある。城山公園内の石造物公園では、市内各地で発見された灯籠や石塔などが集められている。年季の入ったさまざまな形の石の造形物が百七十余基、ずらりと並ぶ広場は壮観である。
公園を抜け、階段を数段上ると、いよいよ天守のある広場に到着だ。広場の展望台からは、八坂川の河口に架かる杵築大橋と守江湾を見下ろせる。先ほど通ってきた南台の展望台も見える。
城は室町時代に木付氏によって築かれ、その後、前田氏、杉原氏、細川氏、小笠原氏と城主を代えて、江戸時代の松平氏を最後に破却された。天守閣の中は有料の資料館兼展望所になっているので、時間が許せば立ち寄るのもよい。東西南北を見渡せる最上階の展望所で、歩いてきた城下町を眺めるのも一興である。
ここから復路に入る。石造物公園を通って少し戻り、公衆トイレのある手前辺り、右手に抜ける小さな石畳の道を入っていくと、下りの階段がある。下りた先の小さな門を抜けると、杵築中学校のグラウンドの脇に出るので、そのまま中学校の敷地に沿って左に歩いていくと、200mほどで県道49号大田杵築線に出る。
この大通りを500mほど歩いた先にある交差点を左折して、再び城下町方面へ。住宅地を進み、「北浜口の番所」と書かれた看板に従って左へ曲がれば、番所の坂だ(⑨)。
竹林に挟まれた細い石畳の坂道は昼間でも薄暗く、町中にあって遠くまで見通せる志保屋の坂・酢屋の坂とは打って変わった雰囲気である。江戸時代、杵築の城下町へ続く道には6カ所の番所(関所)があり、人とモノの出入りが厳しく監視されていた。そのひとつが北浜口番所だ。坂を上っていくと門があり、その左脇に番所の建物である番屋がある。
坂を上りきった先の道は、路側帯が狭くやや車通りが多いので要注意。300mほど行ったところの左手に佐野家がある(⑩)。こちらは武家ではなく、400年にわたる代々の町医者で、藩医を務めたこともある医家の邸宅。杵築の町家では最も古い木造建造物で、1782年に建てられたといわれる。
佐野家のある角を左に曲がり、ひとつ屋の坂を下って右折し、商人の町へ入る。向かい側の斜め右にあるのが杵築市役所である(⑪)。台地に挟まれたサンドイッチの「具」の部分、商人の町には、地元の食材や工芸品を扱う各種商店、またカフェやレストランなどの飲食店が点在する。休憩がてらお土産を買ったり、食事をとるのもいいだろう。
商人の町のにぎわいを存分に味わったら、ひとつ屋の坂から1つ西側の富坂を上り、佐野家がある通りに戻って、西へ向かって直進を続ける。前方に煙突が現れ、突き当たりを右に曲がると、杵築市の指定有形文化財にも指定されている酒蔵を擁する日本酒の造り酒屋、中野酒造(⑫)。中野酒造は明治から続く老舗で、現在では城下町唯一の酒蔵である。
酒蔵の建物に沿って左折し、1kmほど進むと、起点の杵築市総合運動公園に戻る。アップダウンの多いコースのウォーキングでは、想像以上に脚に負担がかかり、体力を奪われる。入念に整理体操をし、帰路でしっかりと食事をとって、体力を回復しよう。
別府湾ウオーキング協会は杵築市と別府市、日出町(ひじまち)、国東(くにさき)市が担当エリアです。毎月1回ウォーキング大会を開催していますが、杵築城下町の散策は人気で、たびたび町歩きを含んだ大会を開催します。年に1回は城下町コースが選ばれていますよ。
城下町の中には広い駐車場がないので、大会の際には少し離れたところを起点にすることが多いです。最近ですと、杵築市役所(⑪)から西に約2kmの杵築市総合運動公園(①)か、杵築城(⑧)から北東約1kmのところにある杵築市海浜夢公園。どちらもトイレと、人が集まれる広場があり、城下町までの往復と町中を歩く距離を合わせて10km足らずのコースがとれます。
見どころの多いコースですが、中でも南台の展望台(⑤)から、守江湾を見下ろしながら杵築城の天守閣を望む景色は見事です。それから、町中からは少し外れますが、中野酒造(⑫)は大会の時も必ずコースに入れています。仕込み水の天然水も飲ませてもらえますし、お土産にお酒を買うことができます。また、今回のコースには入れていませんが、富坂の途中にある脇道の久保の坂の上からは、商人の町が見渡せて気持ちが良いですよ。
ウォーキングの魅力は人によってさまざまだと思いますが、私自身は、長距離を歩くこと自体が好きです。今は毎日朝食後に16kmほど歩いています。出かけても、まだ今日はちょっと歩き足らんと思ったら、帰りにわざわざ回り道したりします。
80代になって歩くペースは落ちましたけど、まだ40kmまでは大丈夫ですね。(2023年)9月に宇佐から別府まで、40kmを歩くウォーキング大会があったんですが、食事の時以外は休憩なしで歩きました。なんでそんなに歩くんだっていわれると……分からないです(笑)。純粋に歩くことが好きなんですね。
PROFILE
古荘喜一(ふるそう・きいち)
1941年、大分県竹田市生まれ。転勤で全国を転々とし、リタイア後の2007年から別府市に在住。56歳の時、勤め先のすぐ近くの宿舎に住んだことにより、日常的に歩く機会が激減。短期間で体重が急増したことをきっかけに、健康のためウォーキングを始める。妻が応募したウォーキング大会に参加して以来、40kmクラスの大会にも参加するように。別府移住後に大分県内ウォーキング大会への参加を始め、2011年から別府湾ウオーキング協会会長を務める。